投手兼コーチとはいえ、このとき森さんはまだまだマウンドに上がれる状態ではなかった。
 もがいているのだろう……。東京から石川へ向かう道中、西武時代の剛速球を思い出し、どんな姿でいるのか考えていた。
 練習が終わり、森さんに会うと明るかった。拍子抜けするくらい……。

「深刻は深刻ですけど、治るものだと思っていましたから。後悔しても、何もならないでしょ。自分の気持ちが暗くなるだけですよ。愚痴を言っても気分が晴れるわけじゃないし、それだったら治すために何をするべきかを考えたほうがいい。やってしまったものは治すしかないんだから」

 あの一球から「3年経った今」の心境を尋ねると、終始笑顔でそう答えた。3年の時間がそう思わせたのか、というとそうでもない。
 脱臼直後、家族に電話をすると「すぐアメリカに行く」と言われた。森は「心配しなくていい、来なくても大丈夫だ」と答えている。加えて脱臼した瞬間の話はもはや笑い話のようだった。

「あぁ、終わった。何しに来たんだろうと思いましたね。あの瞬間、人の体としておかしかった。肩が普段よりひとつ分下にあったから……」そう話し始め、「ベンチからコーチとトレーナーと通訳が飛んで来ますよね。コーチが“どの辺が痛いんだ?”って聞いてきたから、僕が全部ですって答えたら、通訳が“全部です”ってそのまま日本語で答えてるんですよ。思わず、“それ日本語だろっ”って突っ込もうかと思いましたね(笑)。まあ、気が動転していたんでしょうね、あまりの姿に」

 冷静ですね……合いの手を入れると森さんは言った。

「逆に冷めますよ、あそこまでいくと」

 話を聞きながら、我々は怪訝な顔をしていたのかもしれない。森は、取材陣を見てこう言った。

「涙とかあったほうがよかったですか?」

 笑いながら。

 それでも話している言葉の節々に「苦しみ」を耐えてきた男の姿が垣間見られた。