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800年継承され続ける安房国(千葉県)の頼朝伝説を歩く!

『千葉 地名の由来を歩く 』源頼朝伝説編①

全国6位の人口を抱える千葉県の奥深い歴史。「地名の由来」シリーズでおなじみ谷川彰英氏の最新刊、『千葉 地名の由来を歩く』から源頼朝伝説の地をたどる。

(1)頼朝上陸の地  鋸南町

 源頼朝が安房国に上陸したのは、『吾妻鑑』によれば、治承4年(1180)8月29日のことである。こう記されている(引用は『現代語訳 吾妻鏡』吉川弘文館より)。

 29日、己酉(つちのととり)。武衛(源頼朝)は(土肥)実平を連れて船を進め、安房国平北部の猟島に到着された。北条殿(時政)をはじめとする人々がお迎え申し上げた。ここ数日の鬱々とした思いが一度に消えたという。

 この日からわずか1か月余り後の10月7日には何万もの軍勢を引き連れて鎌倉入りを果たしているので、千葉県における頼朝伝説はわずか1か月の間の頼朝の行動をもとに作られ、それが800年以上も継承されてきたことになる。それほど、頼朝が安房国に上陸したという事実は大きな影響を与えたのである。

「猟島」は現在の鋸南町「竜島」である。次の写真は頼朝上陸地の記念碑だが、向かって左側の碑が昔からあるものである。

▲頼朝上陸地記念碑

▲猟島の浜辺

 よく晴れた日には、ここから富士山が見事に見える絶景の地である。また伊豆大島はもとより、頼朝がやってきたという伊豆半島も手にとるように見ることができる。海路を使えば伊豆から安房は「すぐそこにある」位置にあったのである。写真で見るように穏やかな浜だが、こんな浜に数名の家臣を従えて上陸したのである。

 その上陸地からほんの数分歩いたところに神明神社がある。頼朝はここにしばし落ち着いたといわれ、ここで今後の方策を立て、上総広常のもとへ行くことを決心したともいわれる。また、幼少時に仕えていた安房の住人、安西景益に書状を送ったのもこの神明神社からであったと伝える。

▲頼朝が祈願したという神明神社

▲たどってみた、頼朝伝説由来の地名

 【『千葉 地名の由来を歩く』より構成

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谷川 彰英

たにかわ あきひで

筑波大名誉教授

1945年長野県生まれ。ノンフィクション作家。東京教育大学(現・筑波大学)、同大学院博士課程修了。柳田国男研究で博士(教育学)の学位を取得。筑波大学教授、理事・副学長を歴任するも、退職と同時にノンフィクション作家に転身し、第二の人生を歩む。筑波大学名誉教授。日本地名研究所所長。主な作品に、『京都 地名の由来を歩く』シリーズ(ベスト新書)(他に、江戸・東京、奈良、名古屋、信州編)、 『大阪「駅名」の謎』シリーズ(祥伝社黄金文庫)(他に、京都奈良、東京編)『戦国武将はなぜ その「地名」をつけたのか?』 (朝日新書)などがある。



 



 


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  • 谷川 彰英
  • 2016.10.08