平安版「ワンピース」!?
少年漫画を地で行く「義経の旅」

鏡宿で吉次の財宝を狙った大盗賊を撃退し、三河矢矧宿では三河国司で源中納言兼高の娘浄瑠璃御前に身分違いの恋をし、口八丁で口説き落とす。鞍馬時代に世話をすると約束した坂東武者の陵重頼が、約束を違えるとその屋敷を焼き払い、上野板鼻に逃れて伊勢義盛(三郎)と運命的な出会いをして主従の約束を交わす。
あるいは、陵重頼を頼って鞍馬を出たという筋書きでは、鏡宿で自ら元服を遂げ義経と名乗り、坂東へ下ると伊豆の頼朝と再会を遂げ、奥州信夫の大窪太郎の娘を紹介されて訪ねゆき、その子息佐藤継信・忠信兄弟と主従の約束を取り交わす。そこから多賀国府へ向かい吉次を探しだして藤原秀衡との対面を仲介させる。奥州藤原秀衡の許へ至っても落ち着いたわけではなく、京都に出て五条大橋で弁慶と決闘したことは有名で、さらには一条堀川の鬼一法眼の兵法書『六韜』を狙ってその娘と契る。
義経が武士として世に出ることを決意した11歳から、頼朝の挙兵に参じるまでの10年間程は、まさにアウトローの時代である。不良少年として師僧らを震え上がらせ、天狗に武芸を習い、商人の従僕となって寺を出奔し、盗賊と刃を交え、国司の娘を口説き、約束を違えたといって屋敷に火をかける。
なんと荒唐無稽で滑稽であることか。でもこんな筋書き、どこかでみたことがあるような気がする。そう! ほとんど漫画『ワンピース』(尾田栄一郎)である。義経の奥州下り説話は、中世版ワンピースである、というよりは、ワンピースが現代版牛若物語だというべきか。なぜこれほど荒唐無稽で滑稽なのか、という問いは愚問だ。荒唐無稽で滑稽であることそれ自体に意味があり、それを人々が受け入れた。それを面白いと感じるのは、現代人も中世人も同じなのである。