なぜ学校はこんなにも幼くなったのか!? 福田和也著『なぜ日本人はかくも幼稚になったのか』を読んで考えた「公教育現場の現在」【西岡正樹】

◾️今、どれほどの教師が自分の教育理念を持っているのだろうか
話を研究授業(初めの話)に戻そう。研究授業の子どもたちの様子を見ていると、教師が研究授業をどのように捉えているかが分かる。日々、教師は自分の教育理念の基に授業を考え実践しているのだが、その繰り返しを通して教師の理念や教師の大切にしている思いが子どもたちに浸透していく。教師の理念や思いが子どもたち伝わっていれば、研究授業においても子どもたちはなんとかその思いに応えようとするものなのだ。
思うに、研究授業は教師にとって「肝心なこと」である。その肝心なことに真摯に向きあい、その姿を見てもらうということになると、緊張感はつきものだが「6年生の教室」にはそのようなあらたまったものが全く感じられなかった。教師からも子どもたちからも全く感じられないのだ。つまり、この教師が肝心なことから逃げているということに他ならない。このように肝心なことから逃げる教師の下で、子どもが幼く育つのは当然と言えば当然である。
私は、クラスを担任している時、子どもたちに「幼稚」について話すことが度々ある。特に、低学年を担任した時には必ず「幼稚」について子どもたちに訊くのだが、ほとんどの子どもは
「幼稚になるのはいやだ」
という。その理由は明確ではなくても「幼稚」という言葉から感じられる負のイメージを子どもたちなりに感じ取っているからだろう。
そこで私は子どもたちに「幼稚」について次のように続ける。
「みんなは『幼稚は嫌だ』と思っているようなので、幼稚ってどういうことなのか、先生が教えてあげるね。幼稚は次の3つのことから出来上がっています」
*お話を聴けない→お話が聴ける
*今何をやっているか分からない→今何をやっているか分かる
*みんなでできない→みんなでできる
