なぜ学校はこんなにも幼くなったのか!? 福田和也著『なぜ日本人はかくも幼稚になったのか』を読んで考えた「公教育現場の現在」【西岡正樹】

◾️小学6年生の研究授業で目にした信じられない光景
小学6年生の教室である。研究授業がまさに始まろうとしている。しかし、子どもたちに緊張感はない。「ひょっとしたら、緊張をごまかすためにこれ見よがしに、いつも以上に大きな声を挙げているのかもしれないな」そんな思いを抱きながら子どもたちを見ていた。果たして、どちらなのか、担任ではない私にはその判断が付きかねた。
さらに、子どもたちを窺うと
「こんなに先生がたくさん集まるのか、『あっ、○○先生だ』」
「△△先生はいないな。俺が一番信頼できる先生なんだけどな」
そんなことを言いながら、二人は○○先生に軽く手を振っている。
私は、子どもたちが他者を意識していないことにめまいがしそうなくらいに驚かされた。
毎朝の事だが、私は自分の教室に向かうまでの間に、多くの子どもたちとすれ違う。そして、その廊下ですれ違う子どもたち一人ひとりに
「おはようございます」と挨拶をする。これは前任校からの私のルーティンだ。
ところが、新任校での子どもたちの反応が前任校とあまりに違うので、その違いに戸惑いさえ感じた。なんと、すれ違うほとんどの子どもから挨拶が返ってこない。「返事が返ってこない」というよりも、私の挨拶に対して全く無反応であり、無視されているように感じたのだ。
それは、私にとってアウェー感いっぱいのきつい洗礼だった。
(市内の小学校に転勤した元同僚教師の話である)
このような状況は、ある地方都市の日常である。しかし、この日常が特別な例かといえばそうではない。日本のあちこちの地域(都市部または都市部近郊)の学校で繰り返し見られる現状だといってもいい。繰り返しになるが、私が教師になり今に至るまで、このような状況は、けっしてある地域の特定の小学校に見られるものではないことを申し上げておく。
上記の6年生の様子や挨拶できない子どもたちの様子を思い浮かべると、「学校ってここまで幼かったかな」そんな思いが湧きあがってくる。そして、その思いと同時に私が初めて6年生を担任した時の子どもたちの姿が浮かんでくるのだ。
