「プリンシプルがある男」より「プリンシプルがない男」を目指せ!【適菜収】 連載「厭世的生き方のすすめ」第22回
【連載】厭世的生き方のすすめ! 第22回
白洲次郎は「日本も、ますます国際社会の一員となり、我々もますます外国人との接触が多くなる。西洋人とつき合うには、すべての言動にプリンシプルがはっきりしていることは絶対に必要である」と言った。では、国際社会の一員どころか外国人との接触もない自宅に引きこもりがちな厭世ライフを送るわれわれは、プリンシプルを持つべきなのか? 作家・適菜収氏が「適当」の本質を探った。当サイト「BEST T!MES」の長期連載「だから何度も言ったのに」が大幅加筆修正され、単行本『日本崩壊 百の兆候』として書籍化された。連載「厭世的生き方のすすめ」では、狂気にまみれたこのご時世、ハッピーにネガティブな生活を送るためのヒントを紹介する。

◾️一貫性のない男のほうがカッコいい
多くの人は「ブレない」ことを美徳だと思い込んでいる。政治家は「私はブレない」と胸を張る。吉田茂の側近の白洲次郎は「プリンシプルがある男」と持ち上げられた。しかし、人生に原則はいらない。
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中学生のとき小川という数学教師がいた。彼の口癖は「原則」だった。「この問題の解は原則としてこうなる」みたいな。子供心に原則以外の解は存在するのかと思った。なお、彼のあだ名は「原則」だった。
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原則を曲げない人間は面倒である。作家にもそういうタイプがいる。その作家の本が売れるのならまだしも多くの場合は、思い込みが激しく、自分のやり方にしがみついているだけなので、編集者からも嫌われる。客観的な指摘をされても怒り出したり、些末なことにこだわるので、結局うまくいかない。私は60冊くらい本を出しているが、最初のころは細部にこだわっていたが、今はほとんどお任せ状態。こだわりを捨て、朝令暮改の一貫性のない男を目指したい。
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岡田斗司夫が言っていたが、ジブリの宮崎駿は妥協しなさそうな人物に見えるが、実際には妥協しまくっていたと。そうしないと作品は完成しない。現場も回らない。
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こだわりがある男はみっともない。チャーチルはマティーニを飲むときベルモットを入れずにベルモットの瓶を眺めながらジンを飲んだという。アホかと。私はジンの瓶を眺めながらベルモットを飲む男になりたい。
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某編集者にこう言われた。「適菜さんはこれまで政治家の言葉の一貫性のなさを批判してきましたよね。それなのに、一貫性のなさを肯定するのですか?」と。まさにそのとおりで、自分のことは棚に上げる。人生「ブレすぎ」くらいが調度いい。
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高田純次は「適当」を高度な芸能に高めた。そこに「適当さ」はなく、ビジネスとしても成功させた。それが高田の限界である。私がそう言うと、某編集者は「適菜さんだって、こんな適当な話を商売にしているじゃないですか」。これも棚に上げておく。
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