曖昧さと沈黙の理由【森博嗣】連載「道草の道標」第13回
森博嗣 新連載エッセィ「道草の道標」第13回
【意見はあるけれどあえて沈黙】
ネットのニュースで見たのだが、東京のどこかで、ゴミのポイ捨てに罰金、お店はゴミ箱の設置を怠ったら罰金、という条例が施行されそうだ、とのこと。ゴミ箱というのは、テロの心配があるから一時期なくなったように記憶している。お店は、ゴミ箱なんか置いたら関係ないゴミまで入れられて手に負えなくなる、と考えるだろう。ポイ捨てをしたら罰金といっても、誰が取り締まるのか。そもそも、すぐゴミになるようなものを売っておいて、捨てられたら困る、というのも我が儘な感じがする。
観光客が多すぎて困るとか、路上で飲み食いして迷惑だとか、荷物が大きくてバスが混雑するとか、来てもらいたい、買ってもらいたい、沢山利用してほしい、と思いつつ、多すぎると迷惑で、危険で、対策が必要だ、とのジレンマが生じる。なかなかちょうど良い具合にはならないし、みんなが紳士的で遠慮しつつマナーを守るという楽園のような理想も非現実的である。昔は空き瓶を返したらいくらかお金をもらえた。つまり、ゴミの分を値段に含んでおき、それを売った店が回収する仕組みがあった。ゴミを元へ戻させたいのなら、それなりのシステムが必要。価格を上げたくない商売がきっと多いのだろうが。
とかく気にしがちなのは、「人の気持ち」あるいは「みんなの気持ち」である。そういうものに日本人は取り憑かれている。たとえば、TVのニュースとかでも、街の声を取材したがる。みんながどう感じたかなんて関係ないよ、と僕は思う方である。識者がなんといっているかも特に聞きたくない。何があったかだけを報道してほしい。というか、それが報道というもの。もし、みんなの気持ちを伝えたいのなら、どこで、どのようにアンケートをしたか、を示したうえで結果を公開すれば良い。それ以外はデータとして余分で、雑音と同じく意味がない。参考にさえならない。
特に、「ネットの反響」として、コメントを適当にピックアップしたりしているのも、最近多い。いったいどういう意味があるのかわからない。そりゃ、いろいろ意見はあるでしょう、くらいの感じを伝えたいのかな?
政治や経済に関しては、僕は意見をなるべく書かないように最近なった。もともと人に影響を与えたくない、という気持ちがあったし、皆さん、ご自分で考え、ご自分の意見を持ちましょう、くらいがせいぜいかな、というスタンス。意見が違う人の話も聞き、また自分の意見を押しつけないことが、一番大事だとは思う。そういう距離感が、自由な社会には不可欠だ。たとえ夫婦であっても、また家族であっても、意見や認識を一致させる必要はない。主張は、できるかぎり慎ましく。
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