経済発展がもたらしたもの【森博嗣】連載「道草の道標」第12回
森博嗣 新連載エッセィ「道草の道標」第12回
【しかし、個人の敗北はない】
現代人のうちスマホを通して行う活動は、もはや「個人的」なものではない。スマホを通さない部分だけが、本当の「個人」である。どれくらいの割合で「個人」が残っているだろうか? 自身の日常を思い浮かべて、「半分かな?」「いや、もっと少ないな」などと自覚してもらいたい。
この「個人」でなくなった部分は、最近になって急拡大した「共有された人々」のような概念になるが、少し意地悪く見れば、「消費者」とか「市民」の新形態ともいえる。それは、明らかに集団として支配されている。もっと悪くいえば、経済に巻き込まれ、敗北した現代人が一塊になっている大きな生命体であり、ごく一部の支配者(あるいは権力者)たちには、コントロール可能な「数」として把握されている。「数」がわかりにくければ、「フォロワ数」あるいは「票数」と連想すれば良い。
もちろん、見かけ上の「自由」は提供されている。ただし、商品を選択することが自由だと勘違いさせられている、と受け止めても間違いではない。お膳立てされた商品ではないものを選択できる人は幸せだが、ごく限られている。それができることが、残された本来の「個人」による抵抗といえるだろう。
その本来の「個人」は、自身の幸せを知っているが故に、敗北することはない。しかし、誇れるような状態でもない。何故なら、そもそもそれが普通だったからだ。本来の「個人」から剥落した「共有された人々」は、他者に自撮りの写真を見せることが「誇り」だと感じている。誇り合うことで自分たちは一体となれる、と信じている。
経済を回すことが社会の重要課題だと考える人たちは、今もその宗教に支配されている。金を稼ぐことが「活気」であり、そのための構造を築くことが、この神に近づく「修行」なのである。彼らの稼ぎは、さらに上部構造への布施となる。その上にもさらに崇高な指導者が君臨し、下々の意思ではなく、「数」だけを気にしているのである。
あれこれ皮肉めいたことを書いたけれど、基本的に個人の自由がそこそこのレベルで保証されていることが、現代社会の数少ない長所ではある。この場合の個人は、もちろん、残っている方の「個人」だ。失わないように、各自お気をつけ下さい。
KEYWORDS:
✴︎新連載「道草の道標」のご質問箱✴︎
《森博嗣先生へのご質問はこちらからお寄せください!》
https://www.kk-bestsellers.com/contact
上記 「BEST T!MES」 問い合わせフォームのリンクから、
森博嗣先生へのご質問を承ります。
★テーマも質問もできるだけ簡潔に(100文字程度)でお願いいたします(文章も多少修正して紹介されます)。
★「BEST T!MES」お問い合わせフォームの「問い合わせ項目」に【道草】と記入しお送り下さい。
★質問者のお名前や個人情報が記事に出ることは一切ありません。ご安心ください。
✴︎KKベストセラーズ 森博嗣の最新刊✴︎
『静かに生きて考える 』文庫版
大好評重版!3刷大増刷!
✴︎KKベストセラーズ 森博嗣の好評既刊✴︎
『日常のフローチャート
「生きづらさ」を「生きやすさ」に
変える「発想」というマジック
作家・森博嗣が伝授する万能の秘訣
※上のカバー画像をクリックするとAmazonページにジャンプします





