素人デザイナー、5日間の徹夜作業をすべてムダにした「車輪」の正体【斉藤啓】
どーしたって装丁GUY 第5回
■車輪の再発明はムダなんかじゃない
『車輪の再発明』という言葉をご存知でしょうか?これは『すでに確立された技術や解決方法があるのにもかかわらずそれを知らずに一から「発明」し直してしまう行為』を指す例え。つまりは時間と労力の無駄遣い、無知ゆえの無駄な努力、見当っぱずれな挑戦、など意味はおおむねネガティブなもの。
キレイな文字組を作りたい。だからなんとかして自分で作る。
尾瀬のキレイな風景がほしい。無いなら自分で描く。
しかしその作業には、写植やレンタルフォトという「車輪」がすでに存在しており、それを知らなかったぼくの5日間の挑戦はなにもかもがムダでした。
でもそのムダはおおげさに言えば、デザインと印刷技術の歴史を追いかける大きな回り道でもあったのです。
石版や木版に彫られたプリミティブな文字組、中世の修道士により羽根ペンで紡がれた筆写、グーテンベルグが確立した活版印刷、絵と文字を華麗な手描きテクで完結させる浮世絵やアール・ヌーボー、写真の発明、シルクスクリーンやオフセット印刷の発明…。人はその時代時代の制約を受けながらも、技術と知恵と工夫をふりしぼって、誰かに何かを伝えようと試行錯誤し、挑戦し続けてきた。
デザインを行儀良く「学ぶ」のでは無い。この5日間でぼくはデザインに身体ごと飛び込み、たしかにそれを「体験」した。これがその後長く続くぼくのデザイナー人生の、強烈な初期衝動となったのです。
ここでみっちゃんも椅子から立ち上がり、「私もO野さんに賛成!」と声を上げる。
「あとね、あの大きな屋外ブースに地球の絵を描くのは斉藤1人じゃ時間的にも体力的にもムリよ!私、女子美や芸大の友達に声かけて何人かうまい子を集めるから、斉藤のイメージ通りに彼らに描いてもらおうよ!」
一人でやれると思ってた。全部一人でやることに意味があると思ってた。一人でやれさえすればムサビも東京電力もシャカイもが自分をもてはやすと思い込んでた。この時はじめてぼくは、「その考えは甘い」と顔を上げたのです。
写植屋、版下屋、レンタルフォト業者、営業のみんな、絵描きのアルバイトたち。チームプレイという大きな「車輪」を思うまま動かして、デザインを作り上げるとゆう新しい挑戦。ぼくの頭の中でバラバラに散らばっていたすべての歯車がにわかにガチっと噛み合い、プロジェクトは一気に前へ進み出すことになります。
絵と文:斉藤啓

