長谷川慶太郎の『麻雀・カラオケ・ゴルフは、おやめなさい』を真に受けるな!【適菜収】 連載「厭世的生き方のすすめ」第20回
【連載】厭世的生き方のすすめ! 第20回
◾️ミーハーな鰻屋
Kという鰻屋がある。値段はすごく高い。昔、知人に連れられて、何度か行ったが、そこの店主は江戸っ子ぶりたいのか、「粗雑」と「粋」を混同しているのか、客の私にもタメ口で話してくる。
あるとき、池袋の芸術劇場で立川談春の独演会があり、そのあと10人くらいで談春を囲んで池袋二丁目の小料理屋で酒を飲んだ。その日の朝まで私は博多の祇園で酒を飲んでいて、そこから芸術劇場に直行したので、疲れていて独演会の間は完全に寝てしまった。だから落語の内容の話になったときに、それを悟られないように、個室から外に出た。すると店内のカウンターにKの店主がいて、私を見つけて猫なで声で近づいてきた。「談春さんとお知り合いなんですかあ」みたいな。ミーハーな鰻屋。
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学生の頃、友人とよく麻雀をやっていた。今でもネットで麻雀をすることがある。カネをかけているわけでもないし、生産性はゼロだが、単なる時間潰しではないように感じる。頭の中でなにかが作用している感じもある。判断能力が身に着くとか、数学的にどうこうといった説明はいくらでもできるが、それだけではないものが麻雀にはある。それは原始的で本能に近いものなのかもしれない。カンチャンでツモると、うれしくなる。パチンコでチャッカーにタマが入るとうれしいのと同じ。生物は、隙間や穴に、なにかを入れるのが好きなのである(多分)。
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大学時代に友人と雀荘で麻雀をしていると、急にお腹が痛くなり、トイレに行った。その後も腹痛が続き、何回もトイレに行った。すると、店の婆さんが正露丸を渡してくれた。 私が用法通り3粒飲もうとすると、「3粒で効くわけないでしょう。10粒飲みなさい」と言い出した。私は「とりあえず3粒でいい」と答えたが、婆さんは聞き入れない。「じゃあ、7粒飲みなさい」。 結局5粒飲まされたが、まさに玉虫色の決着といったところか。
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こう見てくると、厭世的な趣味は落語に似ているところがある。人間の闇の部分、業、どうしようもなさに接近するのだから。大人になるとは、人に胸を張って自慢できない趣味の一つや二つを持つことではないか。
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ちなみに最近の私の趣味は苔栽培である。
文:適菜収
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