シノヤマ『写楽』vsアラーキー『写真時代』(後編)【新保信長】 連載「体験的雑誌クロニクル」20冊目
新保信長「体験的雑誌クロニクル」21冊目
子供の頃から雑誌が好きで、編集者・ライターとして数々の雑誌の現場を見てきた新保信長さんが、昭和~平成のさまざまな雑誌について、個人的体験と時代の変遷を絡めて綴る連載エッセイ。一世を風靡した名雑誌から、「こんな雑誌があったのか!?」というユニーク雑誌まで、雑誌というメディアの面白さをたっぷりお届け!「体験的雑誌クロニクル」【21冊目】「シノヤマ『写楽』vsアラーキー『写真時代』(後編)」をどうぞ。

【21冊目】シノヤマ『写楽』vsアラーキー『写真時代』(後編)
前回紹介した『写楽』(小学館)と並んで、80年代を象徴する伝説的写真雑誌が『写真時代』(白夜書房)である。創刊は、『写楽』の約1年後の1981年9月号。ただし、同誌の前身として『ニューセルフ』『ウィークエンド・スーパー』という雑誌があった。いずれも編集長は末井昭氏。私が私淑する編集者の一人である。
『ニューセルフ』(1976年創刊)は、「立て!男のエキサイト・マガジン」というキャッチコピーからもわかるように、ジャンルとしてはエロ雑誌だった。が、記事ページには赤瀬川原平、嵐山光三郎、田中小実昌らが執筆しており、サブカル色が強い。ビニ本的な写真もあったが、荒木経惟の「劇写」シリーズもあった。
その『ニューセルフ』が発禁処分を食らって休刊したのち、1977年に創刊されたのが『ウイークエンド・スーパー』である。こちらは一応映画雑誌の体裁で、キャッチコピーは「感じる映画雑誌」だった。誌名は末井氏が見た映画の中で一番印象に残っていたというゴダールの『ウイークエンド』にちなんだもの。とはいえ、内容的には『ニューセルフ』を受け継いだエロ×サブカル雑誌だった。
創刊号は実売率8割以上と好調だったものの、末井氏によれば「だんだん売れなくなって、後半はもう毎月タイトル変えてたんです。あの当時は取次も寛容だったんで、名前だけ変えて部数を多くするわけですよ。それでも売れないからやめましたけど」(別冊宝島345『雑誌狂時代!』宝島社/1997年/インタビュアーは筆者)というから、往時の出版界の大らかさが偲ばれる。
そこでいよいよ『写真時代』の登場となるわけだが、その頃の白夜書房は経営的にかなり危ない状況で、もし新雑誌が売れなかったら倒産というなかでの創刊だった。いわば社運を賭けた『写真時代』創刊号は、なんと14万部を刷って見事完売したという。キャッチコピーは「SUPER PHOTO MAGAZINE」。表紙モデルは三原順子(現・じゅん子)だった。当時はまさかこの人が国会議員や大臣になるとは、誰も想像しなかっただろう。
残念ながら私はこの創刊号を手にしていない。1981年の創刊時は高校2年生。高校生が書店で買うにはちょっとハードルが高いし、そもそも行きつけの書店で見かけた記憶がない。いわんや『ニューセルフ』『ウイークエンド・スーパー』においてをや(この2誌は、のちに資料として見ただけで買ったことはない)。
しかし、14万部も刷ったのなら大きい書店には入荷していたはずだ。創刊に際して末井氏は「エロ本だけど一般誌のふりをしよう」と考えた。「エロ本だからってエロ本コーナーに置かれると埋没しちゃうし、気の弱い人は買いにくいでしょ。だから、もっと一般誌のふりをして店頭に並べさそう。表紙もアイドルの写真にして買いやすく、でも中はすごい、と」(同前)という目論見どおり普通に店頭に並んでいたのだとしたら、たまたま私が見過ごしていただけかもしれない。