それどころか、一九七八年四月、日中平和友好条約締結前に、一四〇隻の中国の武装漁民が尖閣周辺に集結し、その領有を主張した事件を上回る事態である。これは、鄧小平が日中平和友好条約において「尖閣は日本領土」をという一文を入れさせないための戦略であった。このとき、福田赳夫内閣は中国から「尖閣の日本領有」の言質をとらないまま友好条約を締結し、今に至るまでの禍根を残すことになった。一九七八年四月の事件は、尖閣防衛において、中国の実力行使に日本政府がいかに無力であったかを露呈するものであり、このころから、実力によって尖閣諸島を奪うというシナリオが中国に存在した。

 その後、二〇一二年に日本側が尖閣諸島の国有化を行ったことで、日中間の緊張が一九七八年以来の上昇を見せ、中国国内では同時多発的な反日デモ暴動が発生。日系企業・工場や日本車が焼き討ち略奪に遭い、日本車を運転する中国人が暴徒に襲われて瀕死の重傷を負う事件も起きた。

 だがこのときは、比較的日本重視の胡錦濤政権から習近平政権に代替わりする直前であり、また新たに政権の座に就いた習近平にとっては国内の政敵排除に力を注がねばならず、同時に日本側も政権交代があり、双方とも、すぐさま尖閣周辺でのアクションを行う余裕がなかった。だが、尖閣周辺に火種はくすぶったままあり、ほんの少しの油を注げばいつでも燃え上がる状況であった。

 

中国の漁民を使った尖閣奪還奇襲計画

 

 そうして二〇一六年夏に実際、火種は再び燃え上がったのである。

 なぜこのタイミングで、尖閣周辺の火種がまた燃え上がったのか。一つ言えるのは、中国側の内政的理由が大きいと思われる。中国では北戴河での秘密会議が行われており、党中央で孤立している習近平が、経済政策や外交政策の失敗、とくに南シナ海での国際仲裁裁判所裁定で中国にきわめて不利な裁定が出されたことや、韓国のTHAADミサイルの配備を許したことへの責任を問われかねない状況があった。

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