物価上昇は政権交代のきっかけになるか?「インフレを放置すれば政権は確実に倒れる」という民主主義の残酷な掟【林直人】
先進国、過去25年を振り返る〜政権の生死を決めるのは国会ではなくスーパーのレジ

【OECD民主主義の暗部――「インフレ」と「政権交代」の危険な舞踏】
経済指標の数字の裏で、民主主義国家の命運が揺れている。
本報告書の冷徹なデータ分析が突きつけたのは、我々が見逃してきた恐るべき事実だ。25年間の膨大な統計を精査した結果、インフレ率と政権交代が「政治と経済の相互破壊スパイラル」を形成している可能性が浮かび上がったのだ。
■インフレは“政権殺し”の毒薬
数字は明白だ。前年のインフレが高ければ高いほど、翌年の政権交代の確率は跳ね上がる。
有権者は生活費の高騰に苛立ち、政権に鉄槌を下す。だが、その影響は「統計的に有意」であっても「限定的」と報告書は冷ややかに指摘する。つまり、どんなに物価が狂乱しても、先進国の民主主義は意外なほどタフなのだ。
だがその「耐性」が、逆に大きな悲劇を引き寄せる。
■政権交代は“静かな爆弾”
驚くべきは、政権交代そのものが即座に市場を揺さぶるわけではないことだ。為替も国債利回りも、表面上は安定している。だが、数カ月遅れて炸裂する「時限爆弾」が仕掛けられている。
新政権は必ずといっていいほど政府支出を増大させる。それがやがて長期金利を押し上げ、通貨をじわじわと切り下げる、それがまた物価上昇につながる――市場にとっては最も厄介な「緩慢な毒」である。
■民主主義は「フィードバック地獄」に囚われた
最終結論は戦慄すべきものだ。インフレは政権を揺るがし、政権交代は財政拡張を呼び込み、それが再び新たなインフレ圧力を生む。
こうして政治と経済は、互いをむしばむ双方向の悪循環――「フィードバック地獄」に閉じ込められているのだ。
【警告】物価安定を失えば、民主主義も崩壊する
この分析が突きつける冷酷な真実は一つ。インフレ対策は単なる経済政策ではない。民主主義の延命装置なのだ。
OECD諸国の政治エリートたちが物価安定を怠れば、次に待ち受けるのは政権交代の連鎖、財政の膨張、そして物価の安定の崩壊である。
第1部
インフレは政権を打倒するか? 物価不安定の政治的帰結
◾️1.1 序論:説明責任という残酷なルール
有権者は忘れない――。家計を直撃する物価高騰を前に、彼らは怒りの矛先を現職政権に向ける。これが「責任仮説」の冷酷なロジックだ。
パンと牛乳の値段が上がるたびに、政権の椅子は軋みをあげる。OECD諸国という先進民主主義の舞台でさえも、その力学から逃れることはできない。
過去の研究は主に発展途上国やハイパーインフレ期を対象にしてきた。だが今回の報告書が照らし出したのは、「安定」と思われてきた先進国の内部に潜むインフレと政権交代の宿命的リンクである。
「大いなる安定」の時代も、パンデミック後の狂乱インフレも――有権者の記憶と投票行動に刻まれているのだ。
しかも恐ろしいのは、この因果関係が「一方向」ではない可能性だ。政権が不安定であればあるほど、政治家は短期志向に陥り、インフレを呼び込む。つまり、政治と経済は互いに足を引っ張り合う「地獄のループ」に閉じ込められているのである。
さらに、インフレの政治的影響は直線的ではない。2~3%の物価上昇なら許容されるが、5%、8%と閾値を超えた瞬間、有権者の怒りは爆発的に増幅される。
「無関心から大炎上へ」――それがインフレの毒性の正体だ。
◾️1.2 データが語る「政権崩壊の方程式」
今回の分析は、OECD38カ国・1999~2023年の25年分を徹底的に洗い出した。観測単位は「国×年」、その中核にあるのは「政権交代(Gov_Change)」という冷酷なバイナリー変数だ。
・政権交代 = 1:与党の構成変化、首相交代、総選挙――つまり政権が倒れた年。
・政権交代 = 0:嵐を耐え抜いた年。
ParlGovデータベースが描き出したのは、OECD諸国で繰り返される「静かなクーデター」の記録である。選挙だけではない。連立崩壊、党内クーデター、密室の権力闘争――これらすべてが「政権崩壊」として統計に刻まれる。
そして最重要の独立変数は、1年前のインフレ率。CPIの変化が翌年の権力地図を塗り替える。まるで1年前のスーパーのレシートが、翌年の首相官邸の主を決定するかのようだ。
もちろん、GDP成長率、失業率、政権の存続年数といった制御変数も投入している。だが数字の奥に潜む真実は一つ・・・
「インフレは政権の静かな死刑執行人である」。