内藤哲也「辞めます」宣言の1秒前まで新日本辞めるつもりなかった!「面白いかなって」 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

BEST TiMES(ベストタイムズ) | KKベストセラーズ

内藤哲也「辞めます」宣言の1秒前まで新日本辞めるつもりなかった!「面白いかなって」

■「ロス・インゴベルナブレス」はたった一人の熱狂から

 

「メキシコから帰る時にラ・ソンブラから、日本での活動は内藤に任せたと言われていたんで、一人でも続けていこう思って飛行機に乗りましたね。

でも日本でやるからには絶対に失敗は許されないと思ってましたし、それだけの覚悟を決めて(ロス・インゴベルナブレスの)Tシャツを受け取ったんで勝負をかけてみました」

 プロレスラー人生をかけて始めたたった一人の「ロス・インゴベルナブレス」だったが、2016年10月に海外遠征中だったEVIL、2016年11月に負傷で欠場していたBUSHIが合流。「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(Los Ingobernables de Japan)」が始動した。当初は訝しんだファンも多かったが、徐々に全国各地で人気となっていく。

「ロス・インゴベルナブレスを日本でやっていくのに自信しかなかったですね。アントニオ猪木さんが『出る前に負けること考えるバカがいるかよ』って言ったじゃないですか。意外に思われるかもしれないけど、俺は猪木さんと逆で基本的にマイナスから考えるタイプなんですよ。負けたらどうなるのかを考えて、こうなるのが嫌だから頑張ろうって感じなんですね。

でも、ロス・インゴベルナブレスでそんな考えが浮かばなかったのは、メキシコでソンブラやルーシュとやった時すごく楽しかったし、お客さまも喜んでくれたからです。

俺は人を楽しませるためには、自分自身が楽しまないとダメだと思っているんです。それが日本でも実践できていたから、上手くいくと確信が持てました」

 3人で始めたユニットが新日本プロレスで旋風を起こし始めた頃、内藤に大チャンスが訪れた。2016年春のトーナメント戦「NEW JAPAN CUP」で初優勝を遂げたのだ。その勢いでIWGPチャンピオンのオカダ・カズチカにタイトル戦で勝利。遂に念願だったIWGPヘビー級のベルトを戴冠したのだった。

 しかし、内藤はベルトを放り投げ、自らの腰に巻くことはなかった。  

 それでもファンは内藤の行動を支持した。まさにベルト以上に存在感を持つプロレスラーになった瞬間である。

 内藤とロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンの人気は、留まることを知らずに上昇していった。SANADA、髙橋ヒロム、鷹木信悟、ティタン、辻陽太とメンバーが増えていっても、常にダントツに人気のあるユニットへと成長を遂げていく。

 内藤が着用しているロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンのキャップとTシャツを着たファンが全国各地の会場を埋め尽くす。2年前にブーイングをされていた男が新日本プロレスの主役になったのだ。

 この大人気ユニットの特徴は、加入したメンバーが他と比べて少ないことだ。脱退したEVIL、SANADAを含めても7人しかいない。勢力拡大を見せるには人数が多い方がわかりやすいが、なぜ少人数のままだったのだろうか。

「これは俺の考えなんですけど、大人数はイヤだったんです。人数が多いと意見の違いで分裂するかもしれないんで。6人でももちろん意見の相違はありましたけど、常に集まって話し合いをして方向性を決められました。試合数は多くて大変だったけど、少人数でやってきて良かったと思います」

 メンバーの決め方も実に内藤らしさが溢れている。選定の基準は「一緒にやって楽しいプロレスラー」だったそうだ。

「ロス・インゴベルナブレスのメンバーは俺と縁があるプロレスラーばかりなんです。

髙橋ヒロムは、彼がデビューする前からずっと練習に付き合って教えてました。俺がメキシコ遠征に行った時、ヒロムは武者修行中で毎日一緒に食事とかもしていたんです。だから彼と一緒に戦うのは自然とそうなるんだろうなっていう予想はしてました。

EVILは俺と同じアニマル浜口ジム出身で、彼がジムに入会しにきた時に受付したのが俺なんですよ。『ここに名前書いて』なんて言ってね(笑)。

BUSHIもそうです。俺がアニマル浜口ジムへ通っていた頃、ローソンでバイトしていたんですよ。そこに彼がやって来て『内藤さんですか』と声をかけられて、『僕もプロレスラーになりたいんです』と言われたからアニマル浜口ジムへ連れていきました。

SANADAは、俺と同じ日に新日本プロレスの入門テストを受けたという縁がありましたし、鷹木はアニマル浜口ジムで一緒に練習していた仲間です。

陽太は、彼がまだデビューしてすぐくらいの頃に注目していたんです。その事がNHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出た時に取り上げられましたね。後で知ったんですけど、陽太もアニマル浜口ジム出身だったんです」

 縁があるプロレスラーと一緒に、リングで楽しく戦ってきたことが「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(Los Ingobernables de Japan)」が成功した理由なのかもしれない。

次のページ「辞めます」宣言の1秒前まで辞めるつもりはなかった

KEYWORDS:

オススメ記事

篁五郎

たかむら ごろう

1973年神奈川県出身。小売業、販売業、サービス業と非正規で仕事を転々した後、フリーライターへ転身。西部邁の表現者塾ににて保守思想を学び、個人で勉強を続けている。現在、都内の医療法人と医療サイトをメインに芸能、スポーツ、プロレス、グルメ、マーケティングと雑多なジャンルで記事を執筆しつつ、鎌倉文学館館長・富岡幸一郎氏から文学者について話を聞く連載も手がけている。

この著者の記事一覧