ビーチ・ボーイズ ブライアン・ウィルソンの死。訃報が続く中、ミュージシャン・近田春夫と作家・適菜収が音楽体験の原点を語る!【近田春夫×適菜収】
【近田春夫×適菜収】新連載「言葉とハサミは使いよう」第4回
■「音楽との遭遇」とウォークマン
近田:うん。そうしよう。
適菜:近田さんの音楽との出会いは、最初はなんですか?
近田:3歳の時に春日八郎の「お富さん」が大ヒットして、町中で流れていて、意味も分からず歌詞を丸暗記して、近所で大声で歌って……。あとになって母親から、すごく恥ずかしかったって言われた。それが一番最初かなぁ?
適菜:いい話ですね。
近田:適菜さんは?
適菜:クインシー・ジョーンズの「愛のコリーダ」の話は以前しましたが、実家に何枚かレコードがあったんです。それを幼稚園の頃に聴きました。覚えているのは、子門真人の「およげ!たいやきくん」とポール・モーリアとアリス、それと中島みゆきと研ナオコの曲が交互に入っているカセットテープがあって。あとテレビでピンクレディーを見て、怖かったです。大きな女が手をふりまわして踊っていて。アリスのレコードの冒頭部分で、「ドン、ドン」という小さいドラムの音が大きな音になっていくのがあって、それは印象に残っています。
近田:実家、相当幅広い趣味よね(笑)。
適菜:私の父は音楽のことはまったく知らないので、たぶん、当時流行っていたものを買ったのだと思います。
近田:なるほど。しかし24歳違うと本当にいろいろ初体験も違うよね。それがすごく俺には面白いっす!
適菜:私が小学校の4年生のときに父が、多機能のウォークマンのようなもの(ソニーではなくて松下電器製のもの)を買ってきて、説明書を熟読しただけですぐに使わなくなった。私はそれを使ってラジオを聴いたり、中島みゆきのカセットテープを聴いたりしました。
近田:ウォークマンといえば、その頃ソニーから一般販売の前にモニターで貰って、それで細野晴臣さんたちが作った『PACIFIC』ってアルバムをカセットにして、毎日のように街中で聴いていた。歩きながらのBGMってそれまで体験がなかったのですごく新鮮だった。
適菜:松下電器のウォークマンもどきは、多機能で、録音もできて、重くて外で聴くような感じではありませんでした。
近田:松下電器はいつもその手で、後追いでマーケットを牛耳るのよ。通称「マネした電器」だったから、昔は。