韓国大統領選挙に見る「排除と抑圧」の台頭【佐藤健志】
佐藤健志の「令和の真相」54

◆進歩への絶望がもたらすもの
時代の経過とともに、物事はどんどん望ましいものになってゆく。
このような「進歩」の発想は、18世紀後半に誕生したものですが、20世紀に入るころには世界的に定着、なじみ深いものとなりました。
けれども21世紀の世界では、新自由主義型グローバリズムによる格差の拡大、気候変動による自然環境の悪化、新たな感染症によるパンデミックの危機など、解決のメドの立たない問題が多々存在する。
これでなお進歩を信じようとすれば、首尾一貫した現実認識を解体することで、「いや、物事はうまく行っているんだ!」と自他に言い聞かせるしかありません。
しかしこれは「自分の都合にあわせて認識をどんどん歪める」のとイコールですから、物事は「何でもあり」になってゆき、いよいよ収拾がつかなくなります。
これは何をもたらすか?
お分かりですね。
未来への展望が拓けない以上、過去が魅力的に見えてくるのです。
パッとしない「現状」を捨てて、古き良き「原状」に戻りたい、そんな話になってくる。
人間の自然な心理でしょう。
ところが過去回帰を実践しようとすると、とんでもないことになる。
戻るべき原状は、収拾のつかない現状によって否定されているのです。
原状を取り戻すには、まず現状を否定しなければならない。
ずばり、破壊に走るしかありません。
のみならず。
世界を丸ごと過去に戻すなど、しょせん不可能事。
ゆえに過去回帰をめざす者は、ただでさえ歪んだ現実認識をさらに歪曲、「いや、原状は甦りつつあるんだ!」と自他に言い聞かせつつ、破壊を繰り広げるハメに陥る。
物事がいよいよメチャクチャになるのは避けられません。
つまりは失敗を運命づけられているのですが・・・
その過程で見過ごせない副作用が生じる。
「原状回復のための現状破壊」の試みは、社会の分断を激化させるのです!
これは何に行き着くか?
「韓国戒厳令騒ぎの『滅亡と絶望』」に続き、今回も隣国の政治情勢を題材に、この点をさぐってゆきましょう。