『クレア』今昔物語【新保信長】新連載「体験的雑誌クロニクル」13冊目
新保信長「体験的雑誌クロニクル」13冊目
何しろ創刊号の特集が「地球と楽しむ」と、いきなりスケールがデカい。ただ、内容的には今ひとつ焦点が絞り切れていない感があり、見どころはむしろ特集以外のページにあった。まず巻頭の時事コラム集「NEWSY CREA」。「東欧から共産党が消える日」「曽野綾子vs.上野千鶴子論争の[軍配]」といったシブめの記事が並ぶ。浅田彰×田中康夫による「憂国呆談」、山田詠美×中沢新一の対談「ファンダメンタルなふたり」も舌鋒鋭い(中沢新一が当時注目されだしたオウム真理教を擁護しているのが痛いけど)。
「わが『女性問題』と消費税」を橋本龍太郎に語らせ、「裸の江副浩正」と題してリクルート事件の渦中にあった江副氏の素顔に迫るあたりは、さすが文春といったところ。日本初のセクハラ裁判の当事者へのインタビュー「訴えた女、訴えられた男」も読みごたえあった。具体的な被害内容を語る女性に対して、男性は〈ぼくでなくても、誰か他の男性が犠牲になってたんですよ。特定の人間を指してるんじゃなくて、これは男性社会への警鐘なんです〉と被害者意識に満ちた発言に終始する。三十数年経った今もセクハラはなくならず、この記事の男性と同じような認識の男は少なくない(ちなみに裁判は女性側の全面勝訴となった)。
デザインはオシャレでファッショングラビアもあるけれど、あくまでも読み物記事主体というスタイルは、確かに新しかった。2号目以降もワレサ委員長夫人インタビュー、ピル自由化、宗教問題など、他誌ではあまりやらないテーマを取り上げる。そして5号目の1990年4月号で「ニュースが大好き」という、そのものズバリの特集を組む。
「トントン拍子の大出世・完全版『ゴルバチョフ伝』」「ペレストロイカで解禁されたソ連カルチャーがおもしろい」「東欧ブームの影で、あのチェルノブイリはいま?」「ネルソン・マンデラは南アを救えるか」「天安門事件ってなんだっけ」など、世界情勢に斬り込んだ特集は評判を呼び、それまでの倍くらい売れたという。
創刊編集長・斎藤禎氏は、インタビューで〈最初はただ理念として「女性も男性以上にニュースを求めている」ということをいってた〉が、この号が売れたことで〈やっぱりそうだったんだと確信した〉と述べている(『SPY』1991年3月号)。そこで、「クレア名物『ニュースが大好き』第2弾 経済なんてこわくない」(1990年6月号)、「第3弾 環境問題にゼッタイ強くなる」(7月号)とたたみかけ、8月に湾岸戦争が勃発するや、緊急特集「戦争がいっぱい」(11月号)を世に送り出した。同号の表紙には「こんな特集、きっとクレアしかしない。」とのコピーが添えられている。巻頭の「NEWSY CREA」も同年8月号から「ニュースが大好き!」をメインタイトルに掲げた。1991年3月号掲載の読者アンケート「CREAの通信簿」によれば〈「ニュース路線」を「面白い」「今後も継続を」とする支持層が6割以上を占めた〉という。

こうして振り返るに、昭和天皇崩御で始まった1989年=平成元年からの数年は、天安門事件、ベルリンの壁崩壊、東欧民主化、湾岸戦争、ソ連崩壊、バブル崩壊……と、まさに激動の時代であった。そのタイミングで創刊された『クレア』がニュースを前面に打ち出したのは(未知の女性誌の分野で文春の強みを生かす戦略もあったにせよ)結果的には正解だったし、時代の必然だったのかもしれない。
その後の特集でも、「ゲイ・ルネッサンス’91」(91年2月号)、「おいしい毒と、やさしい食。」(3月号)、「どうする湾岸、どうなるソ連」(4月号)、「女でよかった!?」(6月号)、「顔がニュースだ!」(93年1月号)、「ときめきの男尊女卑」(12月号)、「お金のすべて」(94年1月号)、「特集『死』」(3月号)、「事件がいっぱい! ノンフィクション・クレア」(9月号)と、刺激的なタイトルが目を引く。映画や本などカルチャー系の特集、恋愛やセックス、美容系の特集もあるにはあるが、やはり社会派の特集が初期『クレア』の真骨頂と言えるだろう。