戦後の日本人に勇気を与えた水泳

 幕末から明治、大正時代と教育の現場では水泳の授業が盛んに行われ、昭和時代になるとほとんどの旧制高等学校、師範学校にプールが設置されたといわれています。

 オリンピックなどでも毎回多くのメダルが期待される水泳・日本ですが、その輝かしい歴史は、何といっても1947年、戦後の日本国民を熱狂させたスイマー、古橋廣之進の功績をおいて語ることはできません。

 当時の日本は、敗戦国としてオリンピック出場が認められませんでしたが、古橋選手は、日本選手権自由形決勝で世界記録を打ち破ったのです。

 当時、日本は世界オリンピック協会からも除名されていたため、その記録は公式認定されませんでしたが、のちに古橋選手は、このときの悔しさからか全米選手権で世界記録を樹立。

 「フジヤマのトビウオ」と呼ばれ、世界中から賞賛されたのです。

 こうして戦後の水泳熱が高まるなか、1952年に相次いだ小中学生の集団水難事故が、水泳教育の必要性に拍車をかけたともいわれています。

 全国の小中学校ではプール設置が急ピッチに進み、1955年の学習指導要綱には、水泳を授業で行うことが明記されました。

 そして現在、外国人の目には、驚きとうらやましさに満ちあふれるプール付きの学校が常識となったのです。

 日本では、子どもの習い事でも水泳は上位に入っていて、それにともない幼稚園、保育園でもプールが設置されているところが増えていきました。

 北海道、青森県など一部の寒冷地域では、現在もプールの設置率が低い地域もありますが、そういった地域にはしっかりと公設の温水プールがあったりします。

 わが国はやはり、水泳大好き国民が住む、海に囲まれた島国なのです。

世界が絶賛する日本 われわれが知らない進化する真価』より