東京には(空はなくても)『ぴあ』があった【新保信長】新連載「体験的雑誌クロニクル」10冊目
新保信長「体験的雑誌クロニクル」10冊目
1980年12月、いち早くコンピュータ編集スタート。82年3月、『ぴあMAP』発売。83年10月には「チケットぴあ」テスト販売を開始、翌年4月より本格運営。85年の『ぴあ関西版』創刊に続き、翌86年には関西地区でも「チケットぴあ」をスタートする。87年6月に映画のデータベース『ぴあシネマクラブ』創刊。同年7月には飲食店カタログ『ぴあmapグルメ』を発売。12月には『TVぴあ』も創刊した。88年4月、汐留にロック専用シアター「PIT」オープン。9月には『ぴあ中部版』創刊。そして1990年11月の週刊化を迎える。
しかし、この週刊化は攻めの姿勢からのものではなかった。同年に週刊のエリア情報誌『Tokyo Walker』(角川書店)が登場したのに合わせての措置だったのだ。これは『ぴあ』が隔週刊化した際に『シティロード』が追随したのと同じ構図である。
情報を取捨選択し特集で興味を引く『Tokyo Walker』は週刊でも(号によって買ったり買わなかったりという層も含め)読者はついてきたが、網羅的な情報を詰め込む『ぴあ』に週刊という刊行スパンは必ずしも向いていなかった。ろくにチェックしないうちに次号が出てしまう。どうせすぐ次の号が出るしな……と思うと買う気も失せる。私もそれで買うのをやめてしまったクチだが、そういう人は少なくなかったのではないか。また、この頃になると、網羅的な情報よりもあらかじめ選別されパッケージ化された情報のほうが面倒くさくなくていい、と感じる読者が増えてきたということもあるかもしれない。果たして90年代は『Tokyo Walker』の時代となった。
が、『Tokyo Walker』も今はもうない。『Tokyo Walker』がまだ『ジパング』と呼ばれていた頃に少し仕事をしたこともあるが、それもすでに忘却の彼方。この手の情報誌はインターネットの登場で完全に役割を終えた。しかし、雑誌の『ぴあ』はなくなっても、「チケットぴあ」はエンタメ界で不動のポジションにあるわけで、その先見の明には頭が下がる。願わくば、人気チケット発売日にアクセスできなくなるのを何とかしてほしい、とは思う。
文:新保信長