作家 原田マハが美術の謎を解く!「日本人がこれほど印象派を好きな理由」 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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作家 原田マハが美術の謎を解く!「日本人がこれほど印象派を好きな理由」

〜アートは友達、美術館は私の家〜

10月7日(金曜日)から、上野の森美術館で開催される「デトロイト美術館展」。モネ、ルノワール、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、ピカソ、ドガ、モディリアーニ……•など、近代ヨーロッパの巨匠たちの名画52点が一堂に会する話題の展覧会だ。 2013年のデトロイトの財政破綻を機に、売却の可能性が取り沙汰されたが、アートを愛する世界中の人々や市民の力によって、危機を乗り越え全ての作品が存続することになった。 この驚きの事実を知り、『楽園のカンヴァス』などアートをテーマにした多くの小説を上梓している作家の原田マハさんは、現地を取材。多くの人々から隠れた話も聞き、小説「デトロイト美術館の奇跡」を執筆。デトロイト美術館の魅力を知る原田さんに、展覧会出展作品である「印象派」の魅力と、執筆した小説について話を訊いた。

元キュレーターだったマハさん。『楽園のカンヴァス』を始め、美術をテーマにした小説からも、美術への造詣の深さと愛情が感じられる。

———印象派の魅力とは何でしょうか?

原田マハ(以下、原田) 海外の大きな美術館に行って、時代ごとに追って観ていくと、あるところでハッと明るくなる瞬間があります。それが印象派の作品が並ぶ部屋だと思います。中世の宗教画や、バロックの宮廷画など暗いテーマや重苦しい色彩の時代の後、19世紀末にいくと色彩も軽やかで、気持ちも急に楽になる人は多いと思います。  ある時、日本はもちろん、世界中で印象派がこれほどに人気があるのは、何故だろうとある時、考えてみました。
 それで、印象派の時代、19世紀末の文化は、現代の私たちの現実の世界と地続きだということに気づきました。印象派以前の宗教画や静物画は、私たちの生活と関係がないけれど、19世紀後半は現代の私たちの生活様式が始まった時代なのです。

———18世紀後半から19世紀にイギリスでは産業革命が起きて、フランスでも19世紀にはいるとパリの人口が急増するなど、都市が大きく変わり始めた時代ですね。

原田  たとえばパリでは、知事オスマンによる都市の大改造計画が始まります。私たちが今、素敵だなと感じているパリはその時代のものなんです。 鉄道が作られ、都市のインフラが整い始めます。人々は郊外へと出かけ、ピクニックや海水浴などのレジャー、カフェやナイトクラブなどの歌やダンスなどエンタテインメントを楽しみ、現在と同じような都市文化が花開きます。

 そして、アパルトマンが出来てダウンサイジングが始まり、集合住宅に住むようになった人々は、狭いアパートの部屋に合う、小さくて明るい絵が欲しくなるのです。私たちは、150年ぐらい前から始まった都市文化の延長線上に生きている。 この頃から今にいたるまであまり変わらぬ文化背景が、印象派の絵画の中にはあります。だからセザンヌやピカソの絵を見て、私たちは何が描かれているのかわかるし、親しみを覚えるのだと思います。

 ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」やラファエロの「聖母子像」は確かに美しい。でも、今の私たちの生活からは遠くて、どこか絵の中には入っていけない。17世紀、18世紀でも同じですが、印象派や後期印象派時代の絵画だと、地に足が着いている、といったような感覚で眺められるように思います。

———印象派と日本美術との関係はどうなんでしょうか?

原田 「日本美術がなかったら、モダンアートはなかった」というのが、現在の美術界の定説です。これには、19世紀にはパリで5回開催された万国博覧会も、印象派と私たち日本人を近づけてくれることに関係しています。 万博は、ヨーロッパの近代産業を押し進める、技術と製品の展示の場でした。
 第2回目の万博が開催された1867年、日本は初めて万博に参加。徳川慶喜が大政奉還をした前年ですが、この時、日本は美術工芸品を展示します。これらはヨーロッパの人々に大きな驚きを持って迎え入れられ、アヴァンギャルドな芸術家の集まりである印象派もまた、日本の新しい美術に大いなる興味を抱きました。彼らは、空間の取り方や極端なデフォルメなど日本美術の要素を、自分たちの作品の中に積極的に取り組んだのです。
 印象派の作品の源流は私たち日本人の芸術にあるーー。そういうことも、日本人の印象派好きに関係しているのかもしれません。

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