「欲しいものは本当にそれなのか?」貪欲な自分へのシンプルな問いかけと選択について【神野藍】
神野藍「 私 を ほ ど く 」 〜 AV女優「渡辺まお」回顧録 〜連載第46回
早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビュー。人気を一世風靡するも、大学卒業とともに現役を引退。その後、文筆家・タレント「神野藍」として活動し、注目されている。AV女優「渡辺まお」時代の「私」を、神野藍がしずかにほどきはじめた。「どうか私から目をそらさないでほしい」 赤裸々に綴る連載エッセイ「私をほどく」第46回。生きていく上で何を選び取り、何を選び取らなかったか。
【好奇心が強い人間】
午後8時。完全に日が落ちた部屋の中でパソコンのディスプレイの光がぼんやりと浮かび上がっていた。朝から画面を凝視していたためか、目がかすみ始め、瞼をぱちぱちと動かす頻度が増えていく。本当ならばそろそろシャワーを浴びて、目の前に積み重なっている〈やらないといけないものたち〉の存在を忘れて、ふわふわのベッドに飛び込むか、膝の上で私に身を委ねている小さな生き物と存分に触れ合いたい、そう思いつつも、デスクの傍らに置いてあるリストにはまだまだ未完了のものが残されていた。机の上に突っ伏す。リストに書かれているやらないといけないことたちは、どれも私にとって余分なものでも、不必要なものでもない。着実に迫ってきている締め切りをひしひしと感じながらも、椅子に全ての力を任せて脱力する。
やらないといけないことが積み重なるのも、締め切りでひりつくのも嫌いじゃない。着実に進めていけば、一つ一つの終わりは必ずやってくるし、やり切ったときの達成感と解放感は何物にも代え難い。ただ、その状況が一週間、二週間と続き、ついには数ヶ月となっていくと徐々に私の中にある気力みたいなものが萎んでいくのを感じてしまう。頭では必要な行為だと理解しつつも、心のどこかで一つ一つの作業を、ひいては日常というものを受動的に消費しているだけといった感情が湧いてしまうのだ。
元々好奇心は強い人間だ。しかも、何かを見つけたときの〈私のものにしたい〉という欲深さと、〈多分大丈夫だろう〉と物事に思い切り飛び込んでいく度胸を持ち合わせてしまったがゆえに、どう考えても手いっぱいな状況なときであっても面白い方向へと突き進みがちだ。自分自身でも、これは良くもあり、悪いところでもあると思っていて、何度自分の無鉄砲さに少し先の自分が後悔しただろう。ただそうなったとしても、どうにか抱えている全てを納得できるところまで突き詰めることは欠かさない。一度きりの人生なのだから、やりたいことを諦めるなんて、そんな風に考えていた。
自分自身が積み重ねていった日常に溺れかけたとき、ふとあることに気がついた。もしかしたらこれまでの道の進み方ではどこかで天井を迎えてしまうのではないかと。これまで取り巻く環境が変化する中で、変わらずにいる自分、というものにある意味誇りを持ってきた。しかしながら、ライフステージを進んでいくうちに自然と考えなければいけないことや自分の手で守らなければいけないことも増えていった。それを自由が利かなくなる枷と捉える人もいるのかもしれないが、少なくとも私は時間をきちんと積み重ねて進んできた証のようなものだと捉えている。ただ時間を重ねていくうちに、自分自身が叶えたいものや手に入れたいものの輪郭がはっきりとしてくるのも感じていた。欲しいものが欲しいのは変わらない。抱えたものを大事にしていきたい気持ちも変わらない。そうなったとき、私がやらなければいけないのは〈選択と集中〉であった。
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