玄冬の門をくぐったあとは、<br />「単独死、結構じゃないの」と思うのです |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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玄冬の門をくぐったあとは、
「単独死、結構じゃないの」と思うのです

元気に老いるための7つのすすめ【3/3】

7.単独死のすすめ

《3・11の東日本の大災害のあと「絆」ということが盛んに叫ばれましたが、私は、絆という言葉にはある種の抵抗感があります。もともとの言葉の意味は、「家畜や動物を逃げないようにつなぎとめておくための綱」という意味でした。我々、戦後に青年期を送った人間は、家族の絆とか、血縁の絆とか、地縁の絆とか、そういうものから逃れて自由な個人として生きるということが一つの夢だった。ですから絆というのは、自分を縛る鬱陶しいものという感覚が強かったのです。いまになって「絆」なんて言われても、という気分がある。そういうことではなくて、私は、これからの人は孤立しても元気に生きていくという道を考えるべきだと思うのです。
 単独死、孤独死というものが、非常にさびしい、弱々しいことではなくて、「単独死、結構じゃないか」という方向に切り替えたほうがいい、と考えるべきではないか。
 (……)
 とにかく、単独死とか孤独死とかいうものが、非常に惨めでさびしいように言われていますが、まわりを孫や親戚に囲まれて、「おじいちゃん」とか、涙ながらに見送られても、本人はもうほとんど意識がありません。死ぬときは独りですから。本人はもうわかっていないでしょう。最近は、病院でガラス窓越しに見ていて、心電図の波形がフラットになったのを確認して、「残念ながらご臨終です」と医者が宣告して終わるという例が多い。
 (……)
 普段から、独りでいることのレッスンというか、トレーニングというか、孤独のレッスンをやっておく必要がある。前にも言ったように、晩年になるにしたがって、友達で先に逝く人もいるし、離れていく人もいるし、少なくなっていくけれども、それをきちんと意識的にやっていけばいいのです。年賀状が去年の半分になり、来年はさらにその半分になる。最後は年賀状などというものも来なくなって、自分も世を去るのが理想ですよね。
 だけど、いまは、人とのコミュニケーションの輪を広げようとすることばかりが強調されています。高齢者になると、何かのボランティアに入ったり、いろいろ勉強事をみんなでやりましょうというようなすすめがあるでしょう。そうではなくて、どんどん独りになっていくべきだというのが私の説です。それで、やはり人間は、最後は独りで物をじっくり考えたり、感じたりしながら、自然の移ろいの中で穏やかに去っていくべきだと思います。
「孤独死のすすめ」「単独死のすすめ」です。》      (終)

 

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