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裏切られ王・大内義長

季節と時節でつづる戦国おりおり 第236回

 M自動車の燃費偽装。もう上を下への大騒ぎですが、カタログ値と実際の計測値の違いぐらいはどこのメーカーである訳で(日本国内の場合)。M自動車さんのまずかったところは、カタログ値さえも測定方法を偽ったものだったという事で、ユーザーとしては「裏切られた」感でいっぱいというところでしょう。この問題、先々どうなっていくのでしょうか。

 それにしても、近年はM社の鶏肉賞味期限切れ問題やT社の不正会計など、消費者を裏切る所業をはたらく企業が増えているようで、悲しい事です。「恥を知る」文化が完全に消え去った先、日本に残るものは何でしょう。

 さて、裏切られたと言えば、この人物がおそらく第一人者ではないだろうか。

 今から459年前の弘治3年4月3日(現在の暦で1557年5月1日)、中国地方の大大名・大内義長が自害。

 陶晴賢の謀反によって命を落とした大内義隆の名跡を継いだ義長は、豊後の大友義鎮(宗麟)の弟だった。

 2年前に晴賢が厳島合戦で毛利元就に敗死すると、彼に担がれていただけだった義長は大内家中の分裂を止める事ができず、椙杜隆康・町野隆風らの離反を招き、従属していた石見の吉見正頼にも攻めこまれたうえに元就の侵攻を許してしまう。

 兄の義鎮は元々義長の大内氏相続に反対していた事もあり、元就に対し
「自分は中国地方に何の野心も持たない」
 と申し送っており、義長からの救援要請には一切応じなかった。

 義長が新たに築いた高嶺(こうのみね)城は本拠・周防山口の大内氏館の“詰めの城”だったが、まだ未完成で兵糧の貯えも乏しかったため、彼は重臣・内藤隆世の長門且山城に移ったが、そこも毛利氏の大軍に包囲されてしまった。

 元就は
「確執がある隆世が切腹すれば、義長殿の身には別儀なし」
 と申し入れ、これを受けて隆世は自刃、義長は近くの長福寺に入る。

 ところが元就は前言を翻して桂貞俊に命じこの寺も包囲させ、義長に切腹を強要する。

 抵抗のすべも無い義長は歯噛みしながら腹を切り、その首は防府松崎に本陣を置いていた元就のもとに送られて実検に供された。
(『大内氏実録』ほか)

 兄に血縁の情を裏切られ、家臣たちに裏切られ、元就には助命の約束を裏切られ。これ以上考えられないほど周囲の者たちに裏切られ続けて死に至った義長。

 その心情を思うと、哀れというほか無い。

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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