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ネットの怪物!「知的クリーチャー」とは?

「熊本大地震」で出回った、悪質なデマを考察する / 古谷経衡(著述家) 写真提供 http://www.civillink.net

「知的クリーチャー」の時代

 熊本とその周辺でおこった一連の大地震は、熊本に全く地縁の無い小生にとっても、同じ日本人同胞の苦しみとして胸が詰まる思いだ。日赤が義援金受付を開始したので、早速些少ながら送った。

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 さて、この未曾有の大震災のさなか、またもやとも言うべき悪質なデマが出回った。「動物園のライオンが逃げだした」「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」などである。

 前者のライオンは、ご丁寧に交差点の中央に佇むライオンの画像が添付されており、ひと目で海外の出来事とわかる低劣なデマだ。後者は関東大震災のデマをトレースしたものであり、こちらも一瞥して嘘であることは明白。

 このような自明のデマを「拡散!」などと称して広げてしまう判断能力の低い一部のツイッター・ユーザーのリテラシーにも充分なる問題があるが、この国家の一大事にこのような愉快犯的デマをそもそも喧伝する輩が一握りでも居ること事態、由々しきことと断じなければならない。

・悪意なき「知的クリーチャー」

 他者が傷つくようなツイート、公の秩序を乱す様なデマを意図的に流すことにいささかの良心の咎めもない人たち。「これをやったら、結果としてどのような社会的制裁を受けるか」という想像力のない人々。このような人々が、特にネット社会の中で悪い意味で目立つようになってきた。

 今次震災のデマ以外でも、直近ではアルバイト店員による不適切な行為、違法行為の動画中継など、「自身の行為の因果」をまったく想像しない無軌道・刹那的な言説が氾濫する。もしかすると彼らには、前提的に悪意すら無いのかもしれない。

 なぜなら、悪意があるならば自身の行為が社会的制裁を受けるということを予め自覚しているので、自身の個人情報を秘匿するためのあらゆる欺瞞措置(IPの隠匿など)を講ずるはずだからである。

 ところが不思議なことに、このようなデマや刹那的違法行為の喧伝は、ご丁寧にすぐさま発信者が特定できるような無防備状態であることが多い。

 つまり、罪悪感すら自覚していないのである。愉快「犯」ですらない。「やりたいからやった」という動物的情動に突き動かされた何かによって支配されているのである。

 故意犯でも過失犯でも無いとすれば、こういった連中をどう呼称すればよいのか。

 

 同じ人間の姿恰好だが同じ人間の思考回路ではない。このような人間を小生は「怪物」と呼ぶ。姿恰好は人間と変わりないので、「知的クリーチャー」と呼称することにしたい。

 この「知的クリーチャー」の厄介なところは、その外見で鑑別することが出来ないので、彼らが普通の住宅街や会社、学校、電車の中に紛れ込んでいるということだ。

「知的クリーチャー」はネット空間の中に漏れでて、初めて観測することが出来る。ネットに繋いで各種活動ができるのだから、社会生活も相応に営んでいるのだろう。外観は変わらないし、社会生活に必要な技術や知性は身につけているので、実社会では「その他大勢」の中に埋没している。まるで星雲の裏側に隠れ、地球から直接光学観測できない弱い光の恒星のようだ。

 

・想像力ゼロの「知的クリーチャー」

 とにかく、想像力の乏しい人間が多い。「知的クリーチャー」は至極動物的であり、想像力が欠如している。他者を誹謗中傷したり、公の秩序をみだすと官憲の介入や民事裁判の対象になるのだ、という想像力が欠如している。

 恐ろしいのは、例えば『ヤミ金ウシジマくん』の登場人物のように、教育の無さによって社会的不遇を甘受している人々ではなく、一端の大学教育を受け、社会や政治にそれなりの関心がある階層という点にある。

「これをやったら、どういったネガティブな影響があるのか」という、単純な損得を考えられないほど、それほどに想像力が欠如しているのが「知的クリーチャー」の特徴である。その日の、10分先、数時間先のことは考えられるが、数週間、数ヶ月というロングスパンでの発想は持たない。そのような想像力があるならそもそもかような「犯行」を行わない。

 損得勘定も出来ず、ただただ刹那の感情を「書き込みたいから書く」というそれだけの、恐ろしく垂直な動物的感情の連続によってその日を生きて、結果的に歳を取っていくのである。

 

「知的クリーチャー」のほとんどは匿名だが、前述したように罪悪感の自覚がないので、個人情報の秘匿が不十分で、すぐにその素性が露呈する。素性が露呈するかも知れないという想像力がないから防御が無防備なのだ。何かを想像する、という発想回路が著しく欠如しているのがその最大の特徴である。

 このような意味で既に述べたとおり、「知的クリーチャー」は愉快犯とは異なっている。

 

「知的クリーチャー」は、おそらく太古の昔からあらゆる国家や民族の中に存在してきたはずだ。かつて「知的クリーチャー」は例えば村落社会の中に埋没し、広く可視化されなかったから目立たなかっただけかもしれない。

「知的クリーチャー」がネットという拡声器を手にしたことが運の尽きである。彼らに拡声器を渡したことが、社会の混乱や緊張、疲弊につながっている。

 かといって人権上、彼らからネット接続を除去する権利を国家は持たないので、「知的クリーチャー」は必ず、今後も事あるごとにその無思慮な動物的言説を社会の中に撒き散らし、社会は相互に緊張し、敏感になり、そしてその緊張と敏感に対処するコストが負担となることによって徐々にだが確実に日本社会は疲弊していく。

 そんな社会をどう改善していくのか。

 やはり法による厳正対処だ。刑事罰を課すことで「知的クリーチャー」の責任を明確にしていく。

 デマによる拡散は威力業務妨害、根拠なき民族呪詛はヘイトスピーチ規制法が役に立つかもしれない。

 個人においては名誉毀損の民事訴訟等しか今のところ救済措置はないが、何もやらないよりは幾分マシだろう。

 

・「知的クリーチャー」は常に単独行動である

 悪意なき犯罪、故意なき流言飛語ほど、対処に困難なものはない。相手が悪意ある正規軍ならどんな手段でも戦えるが、民間人と同じTシャツを着て、一瞥して避難民の中に紛れている「知的クリーチャー」を効果的に根絶することは不可能だ。

 相手側からすれば何時でも銃弾を浴びせられる。彼らはいつでもゲリラ戦を展開できるが、受けて立つ防御側は常に不利だ。これが「知的クリーチャー」を巡る現状だ。

 だが、「知的クリーチャー」は決してヨコに連携することはない。よって常に「知的クリーチャー」は個別事案として出現する。「知的クリーチャー」はなぜ常に、単独でデマを流したり誹謗中傷を行っているのかといえば、それは罪悪感が無いためである。

 故意はなく動物的感情が出発点だから、徒党を組んで結託し、何かを欺瞞したり反撃に対処するという発想がゼロだし、その必要性も感じていないからだ。だから常に、「知的クリーチャー」はネット世界の中で単独行動なのだ。

 こちらは社会秩序、そして法という官軍である。「知的クリーチャー」のような、賊徒・賊軍に手を振るな。根気は必要だが、必ず勝機はある。  

<了>

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古谷 経衡

ふるや つねひら

評論家、著述家。1982年北海道札幌市生まれ。立命館大学文学部史学科卒。インターネットと「保守」、メディア問題、アニメ評論など多岐にわたって評論、執筆活動を行っている。主な著作に、『知られざる台湾の「反韓」』(PHP研究所)、『もう、無韓心でいい』(ワック)、『反日メディアの正体』『欲望のすすめ』(小社)など。

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