■ドレスの向こうには
隠しきれないエロが待っている woo,woo

 今回のテーマである「見せることと隠すことのエロティックな攻防」という視点から言うと、ジョン・メーガンの「HOW I PLAY JAZZ PIANO」は、なかなかツボを心得たポージングだ。

「HOW I PLAY JAZZ PIANO」

 タイトルどおり、ピアノ演奏の教則のようなアルバムなのだが、でも、これ美女と「ピアノの上でどう遊ぶ?」というアートディレクションでしょう。なかなかタイトルをうまく利用したジャケットだ。
 そして肩の露出したドレス。いやがおうにも胸元の谷間が目に入ってくるポーズだ。さらに片方だけ跳ね上げた脚。女性の胸も脚も興味のない男性はいないだろうから、これは見事に男の窃視願望を満たしているのだ。
 『ポルノ・ムービーの映像美学』(彩流社刊)という著書もある筆者は、この写真を見ると、デビー・ダイアモンド(という女優)がピアノの上でハードなセックスをする1990年代の名作ポルノを思い起こしてしまう。
 まず、女性をピアノの上で転がし、脱がせ……なんてシーンを。

 なにかをあからさまに見せているわけでもないのに、とてもエロティックに思えるというのは、女性のエロティシズムのなかの高等技法だと思う。これは以前も少し触れたことだが、検閲の厳しかったアメリカで深化されたものだ。
 印刷物は「コムストック法」というのが、19世紀から1960年代半ばまで力を持って、性交はおろか、避妊からヌードから同性愛まで性的なものは、なんでも検閲しまくった。
 映画では「ヘイズ・コード」と呼ばれる規制が、1934年から1960年代まで支配してシナリオの段階から検閲した。だからメジャーのスタジオが配給するアメリカ映画は、1960年代までは乳首すら見せなかったのである。
 そういう抑圧のなかで監督やプロデューサーは、どう「扇情的」な絵柄になるかに苦心して、隠しながらも最大限にエロティックに見える技法をあみだしてきた。
 それはパルプ・マガジン(ザラ紙の低級娯楽雑誌)などのイラストも同様で、典型的なのは、着衣ながら胸がはだけて胸元の谷間が見え、さらにスカートがはだけ太ももが見えるといった構図だった。これなら検閲に引っかからない!

 そういう歴史を顧みれば、「HOW I PLAY JAZZ PIANO」のピアノの上の美女は、胸元と脚をうまく見せているという点で、性的に抑圧されたアメリカ文化が生んだ構図の典型のひとつといえるのだ。
 だが、レコジャケはパルプ・マガジンではない。値段もずっと高いし、安っぽい扇情性は売れないアーティストならともかく一流どころには使えない。
 よりソフィストケートされたエロティシズムが必要となったとき、より高度な技法が生みだされた。
 ジョナ・ジョーンズの「a touch of blue」は、そんな高度なエロティシズムの最良の例である。ブルーで統一された室内とドレス。そこに3人の美女。パッと見ただけでもじつに洗練されていて、さすがにCapitolレコードの制作室は違う、と思わせる。
 この連載で何度も書いているようにCapitolレコードは美女ジャケの宝庫で、写真からアートディレクションまで、ほぼ社内のスタッフを使って、素晴らしいジャケットの数々を生みだしてきた。Capitolレコードのスタッフからフリーになって名を残したカメラマンも少なくない。

 

「a touch of blue」

 3人の美女をよく見てほしい。まず、床に寝そべっている女性は、パンツルックだが、「胸元」が大胆だ。
 椅子に座った女性は、大きくスリットの入ったドレスで「太もも」を露わにしている。
 その奥で立っている女性。ホルターネックのタイトドレスの「背中」は大きく開いて、背中そのものを露出させているし、タイトなドレスはヒップも強調している。長手袋をしてゴージャスなところも良い。

 ようするに3人の女性を使って、胸元、太もも、背中、と身体のセクシュアルな部位をそれぞれ強調しているのだ。しかも「見せることと隠すこと」の技法を巧妙に使って。
 ふ~む、とこのことに気づいたときに思わず溜息が出たものだ。他のアルバムにここまで技法として凝ったものがあったか、と。
 たぶん、ない。

 この作品は洗練されたエロティシズムという点では大傑作ものだと思う。ちなみにジョナ・ジョーンズさんは黒人のトランペット奏者なのだが、どのアルバムも白人美女ばかりで、ちょっとどうなのよ、と思うところもなくはない。しかし彼のアルバムは売れた。ジャケの訴求力も与ってのことだろうと想像する。

 似たようなジャケで、こちらも大傑作なのが、ジョージ・シアリングの「ON THE SUNNY SIDE OF THE STRIP」。この連載で何回も書いているように、筆者はホルターネックのドレス・フェチなので、これはもう二人の女性のドレス姿が堪らない。

「ON THE SUNNY SIDE OF THE STRIP」

 しかもポージングが二人とも決まって、まさに奇蹟のようなシャッター・チャンスだったとしか思えない。左の女性の交差する脚。ヒップが強調されてとてもセクシーだ。右の女性は男性にキスして片脚を跳ね上げている。
 複数モデルを使ってすべての最良の瞬間を撮るというのは、撮影現場では至難の業だ。だからカメラマンがシャッターを押す量も増える。
 余談だが、単体モデルでシャッターを押しまくるカメラマンは、だいたいイモである。数十年、いろいろなカメラマンと組んでモデル撮影に立ち会ってきた経験から、そう思うのだ。

 こんな奇蹟のような写真を撮ったのは誰なのか? こちらもCapitolレコードの制作室による作品。ネオン看板の使い方など含めて、そのセンスに脱帽しますね。

 ジョージ・シアリングは英国出身の盲目のジャズ・ピアニストだが、ラウンジ・ピアノ的な甘さやラテン・ビートをうまく取り入れてじつに良い。ジャケも美女ジャケが多く、中古盤も容易に入手できるので、美女ジャケ初心者(そんな人はいないか.....)には、最良のアーティストだといえる。

 この2枚のアルバムは、肩紐が落ちたりの「思わしげ」でもなければ、エロティックなポーズを取っているわけでもない。それでも見れば見るほどエロティックに見えてくる傑作ジャケットだと思う。
 けっして「見せて」はいないのに、いや「隠されている」からこそエロティックさがいやます。着衣派の心を突き刺すようなエロティシズムの神髄があるのだ。
 隠されたものを想像してエロティックなエネルギーがたまっていく。そしていつかそのエネルギーを充分に解放する日を夢見ながら、ドレスの向こう側を想像するわけだ。
 美女ジャケとは、最高に洗練されたエロティシズムの見本なのでもある。