難病「道化師様魚鱗癬」を患う我が子と若き母の悲しみと苦しみ。「ピエロ」と呼ばれる息子の過酷な病気の事実を出産したばかりの母は、どのように向き合ったのか。『産まれてすぐピエロと呼ばれた息子』著作を綴った「ピエロの母」が難病の事実と向き合い、受け入れた時、母親としての愛情が溢れ始めた。「会いたい!」我が子を抱きしめたい母親の愛情が芽生えたその瞬間を綴ります。悲劇ではなく、奇跡なんだ! 母の思いとは何かを静かに問いかけます。

◆自分を納得させるためにかき集めた奇跡

 退院の日をむかえる前夜、私は「陽(注:よう=我が子)は生きるために産まれてきた」という証拠をかき集めた。自分の中で陽の誕生を奇跡と思うことにより、自分への慰めをかき集めることにしたのだ。

 他人からしたら、そんなの奇跡でもなんでもない。
 そう思われても構わない。
「奇跡の子」なのだと自分を奮い立たせたかったのだ。

●もし、予定日より約1ヶ月早い出産でなければ、症状はもっと酷かった。
●もし、逆子ではなくて、帝王切開でなく普通分娩で出産していたら、感染症を起こしていた。
●もし、あと4日遅く破水していたら、予定通り地元の産婦人科で帝王切開をし、適切な処置をすぐに受けられず、搬送中(はんそうちゅう)に感染症を起こしていた。
●大きな病院の中でもこの珍しい病気を知らない先生が多いなか、この病院には昔よく似た病気の患者さんをみたことがある先生がたったひとりだけいた。

 どれかひとつなくても、今の陽はいないんだ。

 妊婦検診ではなぜ分からなかったのか。
 この病気は全ては皮膚のせい。最初に作られる骨はちゃんとある。内臓もちゃんとある。皮膚のせいで変形していくだけ。妊婦検診のエコーの段階では分からない。骨も内臓もちゃんと写るから、でも顔の表情が1度でも見れたら、異変に気づけたのかもしれない。
 何度も何度も、顔が見たくて挑戦しても、手や足で頑なに隠していた。
 見られたくなかったのかな。僕は頑張ってるから、今は見ないで。そう伝えたかったのかな。

 物事の捉え方なんて、人それぞれ。だから私は、全てのことを奇跡とすることにした。

 まだまだ自分の中での気持ちの浮き沈みは激しい。朝起きたらまた違う感情、考え方をしているかもしれない。
 可哀想な私、と悲劇のヒロインぶっているかもしれない。自分でも、1分先の自分が分からない。
 だからこそ、もっともっと「奇跡」をかき集めたかった。

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