産まれながらにして「道化師様魚鱗癬」を患った我が子の誕生で苦しみに直面するも、その事実を受け止め、向き合うことをはじめた若き母(ピエロの母)。夫と義母、義父さらには医療チームの献身的な愛情が次第に彼女に生きる希望を与えてくれた。でも・・・。『産まれてすぐピエロと呼ばれた息子』の著者「ピエロの母」が、実家との辛い過去と向き合った時、難病に苦しむ我が子が運んでくれた奇跡が、実家の家族にも起こった。

◆さびしくて、悲しくて

 いつ退院できるか分からなくて、魚鱗癬を患う息子の陽くんにはまだ新しい服は1枚もなく、紙袋の中身はすべて、兄たちの甥っ子二人のおさがりの洋服でした。
 私は兄、兄、私の3人兄妹の末っ子でした。
 長兄とは歳が離れていることもあり、あまり話をしたことがなく、いつしか「おはよう」という簡単な4文字の挨拶ですら、なかなか交わせない関係となっていました。

 そして私には父親はいません。

 正確には、私が18歳になるまではいたのです。
 けれど父親だと思ったことは、物心がついた頃からは一度もなく、「さようなら」をした最後の日、久しぶりに父の目を見て話をしました。
「いつまでも可愛い娘や思とるから」
 そう言う、あの人を私は無言で見送りました。
 そして家を出る父に心の中で「さようなら」をしたのです。
 私の周囲には「やっとおらんくなったわ〜」なんて言っていたけれど、本当は父のことを思い泣きました。

 さびしくて、悲しくて。

 でも、それはあの人がいなくなったから、淋しいのではありません。ただ、ずっと「父さん」と呼んで頼れる存在がほしかったのです。
「父さん、あのね」「父さん、聞いて」と世間の子供たちと同じように父に甘てみたかったのです。
 それでも、そんな想いを上回るほどの愛情を、私は母親から貰っていました。 母はいつでも私の味方をしてくれる、理解してくれる存在でした。きっと、父に関しては、私よりも母の方が辛い思いをしている。
 けれど母はいつも笑顔でした。母の優しい強さに、私はいつも救われていました。

◆陽くんがもたらしてくれた家族のつながり

 陽が産まれて「家族」の形が少し変化しました。
 それは、長兄との関係です。難病を患う息子と育児をする私を労わってくれて優しい言葉をかけてくれるようになったのです。
「お前は大丈夫なん?」
「陽は?」と心配して、兄が訪ねて来てくれるようになりました。
 まだまだ交わした言葉数は少ないですが、「これ、陽へ」といって紙袋いっぱいに服をくれました。私が喜んで貰うと、次は段ボールいっぱいの洋服をくれたのです。まだ陽には大きすぎる服も入っていました。
「ありがとう、兄さん」
 そして陽が産まれて、初めて迎えたゴールデンウィークには、長兄家族、次兄家族、私たち家族、そして母。家族みんなで集まってご飯を食べたり、一つの部屋でゲームをしたりして盛り上がりました。こんな団欒は今までに私は経験したことがありませんでした。皆で楽しめるようにと、用意してくれた夫のおかげです。
 陽が産まれてきてくれたおかげです。
 私は何よりも、兄弟仲良く、家族揃って笑って過ごす様子を、嬉しそうに見守る母の姿に、涙が出そうになります。私がこの景色を望んでいたよりもっと、母はこの景色を強く望んでいたのだと思います。お母さん、遅くなってごめんね。
 そしてこうした家族のつながり、関係性の変化こそ陽が起こしてくれた“奇跡”だったのかもしれません。
『産まれてすぐピエロと呼ばれた息子』より構成)