「魚鱗癬」という病気の痛みは具体的だ。皮膚の薄くなった我が子の腕に打つ注射の痛み、薬への耐性ができた菌との戦い。その痛み、戦いを両親、主治医が気持ちをおおらかに向き合って励まし合いながら快方へと向かわせる。その治療への献身、努力の経過について『産まれてすぐピエロと呼ばれた息子』の著者「ピエロの母」が主治医の先生にお話をうかがいました。 

◆何本もの点滴チューブに繋がれる我が子

三重中央医療センターの小児科に在籍する、中村知美先生は昨年(2019年)、息子の陽くんが久しぶりにブドウ球菌に感染して2か月間入院したときに、初めて主治医として担当しました。ご自身も出産されてほどない頃で、現場復帰の最初のお仕事だったそうです。

 陽くんの症状は、菌が薬剤耐性を獲得、抗生剤が効きにくい状態で、予断は許されない難しいケースだったと言います。
 中村先生はこうお話ししてくれました。

「先が見通せないなか、ときに寝ずに付き添っているお母さんにお声掛けすると、『いえ、この子が元気でいてくれさえすればいいので……』と微笑んで応えてくださった表情が印象的でした」 (中村先生)

「先が見通せない」魚鱗癬と言う難病に対して、主治医と医療スタッフ、家族の思いが重なりながら快方へ向かわせていく。

 狭い病室のなかで、何本もの点滴チューブにつながれている陽くん。
 そのときは2歳そこそこですからときに手足を激しく動かしたり暴れたりすることもあり、チューブが抜けないように見張るのは気が気ではありません。それに音をあげるでもなく、甲斐甲斐しくそばで付き添っている私に、医療スタッフのみなさんからねぎらいの言葉を投けかけてくれていました。
 中村先生は「お母さんも頑張り屋さんだけど、負けず劣らず陽くんも頑張り屋さん」だと言います。経験している人もいるかと思いますが、点滴チューフの針を血管に刺し入れるときは痛みを伴い、大人でもつい身を引いてしまいます。続けて数本も入れるとなると痛みも何倍かになります。ましてや普通の人よりずっと皮膚の弱い「魚鱗癬」の子の場合は、苦痛の度合いは計り知れません。 通常10分前後で終わる点滴チューブの刺入は陽くんの場合、7本ぐらい入れ直しをしないと留置できない時もあり、1時間前後かかることもありました。

◆お医者さん、夫の献身で次第に成長を見せてくれた!

 この苦痛軽減に一役かったのが夫(ピエロの父)でした。インターネットから陽くんが関心を示しそうな動画を参考に、自分で動画を撮影・編集し、点滴ルートの確保かができたら、ご褒美としてその動画を見せました。
動画の内容は、たとえば『アンパンマン』の1シーン。バイキンマンのおもちゃを手で動かしながら、お父さん自身が自分の声でアテレコ。動画はバイキンマンのおもちゃがアップになっており、バイキンマンが喋りながら動いているように見えます。夫は自らが編集した動画を見せるために忙しい仕事の合間を縫って駆けつけていました。 これを陽くんは楽しみにして、痛みに耐えていたようです。

「自身が痛い目にあった直後に、周囲に対して気を向けることができる、というのはすごいな、と思いました」(中村先生) 点滴のルート確保が終わると、医療スタッフに対し陽くんは、 「あーと(ありがとう)」と言って会釈のような仕草をして、お礼を言い、スタッフのみんなを驚かせつつ、 なごませていました。

 その頃から言葉の獲得は順調に進み、「かーか(お母さん)」、「とーと(お父さん)」、「じーじ (おじいちゃん)」、「ばーば(おばあちゃん)」、「くるま」「まんま」といったような言葉は日常的に使えるようになっていました。


 現在、身体面の発達で、普通児よりやや遅れがありますが、早産で生まれた子にはよくあることです。魚鱗癬の影響については、「まだ評価するには早すぎるかもしれません、5歳前後に身体がしっかりしてきて、普通児との距離が急速に縮まることもあります」と中村先生は言います。

「このまま順調に育っていってくれれば、小児科医としては言うことがありません。陽くんの成長を見ていくのがうれしくもあります」(中村先生)
 先生方、家族の献身が我が子の成長に結実することを知り、私自身も日々、うれしく感じております。(『産まれてすぐピエロと呼ばれた息子』より構成)