■太平洋戦争初期に大活躍した凡作『99式艦上爆撃機』

作戦行動中の99式艦爆。固定脚には空気抵抗を軽減するためのフェアリング(整形覆い)が装着されている。急降下爆撃は敵に肉薄して投弾するため、日本海軍航空隊の「艦爆乗り」には猛者が多かったと伝えられる。

 日本海軍は1930年頃、急降下爆撃への興味を抱いた。それはアメリカとドイツで先行していたこの爆撃方法による高い命中精度を知ったことが大きく影響していた。洋上に浮かぶ小さな目標である艦艇の攻撃に、この急降下爆撃が利用できると判断したからだった。

 そこで空技廠6試特殊爆撃機(当初は急降下爆撃機を特殊爆撃機と称した)、7試特殊爆撃機、中島飛行機8試特殊爆撃機での経験を経てから、ドイツのハインケル社に対し日本向け急降下爆撃機He50を愛知時計電機が発注。そしてその改良型のHe66を国産化するとともに小改修を施して、愛知94式艦上軽爆撃機(1936年に94式艦上爆撃機と改称)が開発された。同機は日本初の艦上急降下爆撃機として1934年に制式化され、2年後の1936年になると、発展改良型の96式艦上爆撃機が造られた。

 同じ1936年、11試艦上爆撃機の競合試作が中島と愛知の間で始まったが、納期に遅れが生じたため中島が脱落。ハインケルHe70を参考にして設計を進めた愛知の機体が、1939年に99式艦上爆撃機として制式化された。

 ところが、ほとんど同時期に開発されたアメリカのダグラスSBDドーントレスが引込脚を備えて1000ポンド(454kg)爆弾を搭載できたのに対し、同じ1000馬力級エンジンが使われているにもかかわらず99式艦爆はドーントレスの約半分の250kg爆弾しか積めず、しかも引込脚ではないため大きな空気抵抗が生じて約25km/hほど遅い機体となってしまった。加えて後期型に至るまで防弾が皆無に近かったため、被弾するとたやすく炎上するという欠点が、太平洋戦争開戦後に露呈した。

 とはいえ太平洋戦争の緒戦では、例えばパールハーバー攻撃やセイロン沖海戦などで99式艦爆はきわめて高い爆弾命中率を示したが、これは戦前から厳しい訓練に明け暮れてきた技量優秀なベテラン搭乗員の腕によるところが大きい。

 逆に、敵に肉薄する急降下爆撃は対空砲火に被弾する可能性が高く、既述のごとく本機は防弾が脆弱だったため、損耗率がきわめて高かった。一例をあげると、パールハーバー攻撃時の97式艦上攻撃機の損耗率はわずか3.7パーセントだったが、99式艦爆のそれは実に12.4パーセントという4倍に近い数字が残されている。

 また、敵戦闘機に襲われて被弾すると、防弾皆無がたたってほぼ確実に炎上し墜落するため、戦争中期になると本機の搭乗員自らが、陰で99式艦爆ならぬ「99式カンオケ」と自虐的に呼んだという。

 というわけで、太平洋戦争初期に99式艦爆が活躍できた最大の理由は、勝ち戦で敵の戦闘機による阻止攻撃を日本側が抑制できたことに加えて、なんといっても練度の高い搭乗員たちの「腕」による。そのためベテラン搭乗員が相次いて戦死すると、命中精度の低下と喪失機の増加が連動する結果となってしまった。

 つまり99式艦爆とは、乗り手の技量と活躍した時期のおかげで、本来は「凡作機」のはずが「傑作機」のように振舞えた機体だったといえばわかりやすいだろうか。