健康に良いイメージのある和食も、はじめから健康に良かったわけではないのです。日本人は自分たちの体で効果を確かめながら、長い歳月をかけて和食をより良いものにしてきました。体と食のかかわり合いの歴史を調べることで、私たちは多くのことを学べるはずです。(『日本人の病気と食の歴史』奥田 昌子著 より引用)

■明治天皇、肉を召し上がる

 明治時代のなかばまで、ほとんどの医療機器が西洋からの輸入品でした。ドイツ製の顕微鏡となれば、当時の開業医の年収が半分吹き飛ぶほど高価だったようです。そのため明治時代の初期には東京全体で顕微鏡が4台しかありませんでした。

 それでも明治中期になると、半年で170台売れたという記録があらわれます。それどころか明治30(1897)年には、国内で顕微鏡を使って研究していた志賀潔が赤痢の原因菌を発見し、ドイツの医学雑誌に掲載されて大ニュースになりました。赤痢菌の正式名称シゲラは「志賀」にちなんでつけられたものです。

 続く明治33(1900)年にはガラス製の国産の注射器が、明治42(1909)年には同じく国産の医療用X線撮影装置が完成し、販売が開始されています。日本人はもともと手先が器用なのに加えて、江戸時代の精密なからくり仕掛けが示すように、複雑な機械のしくみと構造を理解するだけの工学的な知識を持っていたからでしょう。

 X線撮影装置の登場で、当時もっとも期待されたのが結核の早期発見でした。近代化によって大規模な工場が次々に建てられ、大勢が一緒に働くようになると、そこで結核が繰り返し発生したのです。明治15(1882)年には東京だけで2300人以上が結核で亡くなり、国民病、亡国病とおそれられました。

 結核をはじめとする感染症を抑え込むのが難しかったのは、治療法がなかったからだけでなく、栄養バランスに問題があったからです。明治時代のカロリーの総摂取量は平均2500~3000キロカロリーとされ、現代と大きくは変わりません。しかし、ご飯のわりにおかずが少なく、動物性蛋白質と脂肪の摂取量はわずかでした。

 貝原益軒が『養生訓』で、「日本人は大陸の人とくらべて胃腸が弱いので、肉は一食につき一切れ食べれば十分だ」と述べたように、脂肪の摂取量が少ないことにはメリットもあります。

 おなかの脂肪、正確には内臓脂肪がたまりにくくなるので、かつての日本では糖尿病、動脈硬化などの生活習慣病や、大腸がん、乳がんなど、内臓脂肪の蓄積と関係が深い病気の発症率がきわめて低かったのです。

 しかし、肉の脂もある程度は必要です。とくに、血管を強くし、感染症に対する抵抗力をつけるのに欠かせませんが、日本人はこれがちょっと少な過ぎました。古代から受け継がれてきた食養生を近代化して、さらに良いものにするために、まず注目されたのが肉でした。

 大きな転機がおとずれたのは明治5(1872)年です。突然、こんな報道がありました。

「宮中は肉食をずっと避けてきたが、天皇は前年の暮れに肉を召し上がり、これからは宮中で肉を食べると定められた」

 国民の動揺をおそれてか、報道されたのは天皇が肉を召し上がったとされる日付の約1ヵ月後だったそうです。実際には、明治天皇はもう少し前から西洋料理を食べ、牛乳も飲まれていました。ナイフとフォークの使いかたを習われたのは報道の翌年だったようですから、当初は箸を使われたのかもしれません。