【縄文人の寿命 実は長かった!<br />現代人も参考になる縄文人の食生活<br /> ~日本人の暮らしぶりと食の歴史~】 | BEST TiMESコラム

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縄文人の寿命 実は長かった!
現代人も参考になる縄文人の食生活
~日本人の暮らしぶりと食の歴史~

日本人を長生きにした「和食道」

健康に良いイメージのある和食も、はじめから健康に良かったわけではないのです。日本人は自分たちの体で効果を確かめながら、長い歳月をかけて和食をより良いものにしてきました。体と食のかかわり合いの歴史を調べることで、私たちは多くのことを学べるはずです。(『日本人の病気と食の歴史』奥田 昌子著 より引用

 

■海と山の恵みを生かす知恵

 縄文時代の日本人は、植物の次に多く食べていたのが魚です。銛もりと釣り針を使って、近海魚を中心に、ブリ、サバ、イワシ、スズキに鯛、ヒラメ、さらにはフグまで獲っていました。ということは、どうすれば安全にフグを食べられるか知っていたことになります。

 銛と釣り針は精巧に作られていて、しくみは現代のものとほとんど変わらなかったようです。イカやウニも食べていました。

 同じころ、大陸では食用の牛、豚、アヒルなどの飼育がすでに始まっていました。この習慣が日本で広がらなかったのは、太平洋側でも日本海側でも寒流と暖流がぶつかり合い、漁業資源が豊富だったからでしょう。わざわざ動物を育てて肉を食べる必要がなかったのです。

 三内丸山遺跡から出土した縄文人の食料の形跡のなかには、クルミの殻、鴨の骨に、鯛やサメの骨もあります。サメを食べていたとは驚きですが、じつは淡白でおいしく、現代ではサメを使ったはんぺんは高級品として知られています。魚の次に多く食べていたのが猪や鹿などの獣肉で、弓矢を使って、ときには鯨、北日本ではトドやアザラシ、オットセイも獲っていました。

 貝も大切な食料でした。貝の殻を捨てた場所が貝塚になって残っています。明治10(1877)年、汽車で新橋に向かっていたモース博士が車窓から発見した有名な大森貝塚は、縄文時代後期から晩期の遺跡です。

 日本の自然がこれほどまでに豊かな恵みをもたらしてくれることに驚かされますが、縄文人は食欲にまかせて食材を採集していたわけではなく、栗の木を植えて管理し、幼い獣は捕えないなどの知恵をそなえていたようです。

 この時代には調味料として塩を使うことがなかったとされています。といっても、人の体が正常に機能するには塩分の摂取が欠かせないため、魚や貝、動物を内臓までしっかり食べることで塩分を確保していたのかもしれません。また、塩の代わりに、貝を煮て干したものを利用していたのではないかという指摘もあります。湯に入れれば塩分と出汁が出るので便利です。さしずめ即席スープの祖先ですね。

 山椒を使っていた痕跡もあり、食材が豊富なうえに味つけにもこだわっていたことがうかがえます。

 

■虫歯はあったが長生きだった縄文人

 骨格から推定すると縄文人は頭が大きく、顔の幅が広く、眉の上が出っ張っていて、鼻は鼻筋が通って高く、幅が広かったようです。青森の三内丸山遺跡での発掘調査によれば、当時の大人の身長は男性が157センチ、女性が147センチくらいで、骨太で筋肉が発達し、がっしりしていました。

 縄文時代の早期から犬を飼っていたこともわかっています。動物考古学の専門家によると、縄文犬は小型の柴犬に似ていて、一緒に狩猟に出かけたようです。

 犬を丁寧に葬った墓や、飼い主と思われる女性とともに埋葬した墓がある一方で、犬以外の動物の墓は見つかっていないことから、縄文人にとって犬は特別な動物だったと考えられます。犬と一緒に埋葬されていたのはすべて女性でした。犬を女性の守り神と見ていたのでしょうか。のちの時代に犬が安産の象徴になることとの関連を思わせます。

 遺跡からは骨と化石しか出てこないので、縄文人の健康状態や病気について調べるのは簡単ではないものの、排泄物の化石から寄生虫の卵が発見されており、寄生虫に感染していたことがわかります。

 ちょっと意外なことに、縄文人はわりと虫歯が多かったようです。虫歯のなりやすさは地域によって差があり、北海道では少なく、本州の縄文人はその7、8倍にのぼりました。

 虫歯は食べものに含まれる糖やデンプンが口の中の細菌によって分解され、歯が溶けることで発生します。そのため、植物性の食品を多く食べるほど発生しやすく、たとえばグリーンランドの先住民は、肉と魚中心の食生活だったころは虫歯がほとんどなかったのに、生活が近代化されるにつれて虫歯が急増したそうです。

 北海道で虫歯が少なかったのは、本州の人がドングリなどの木の実、芋類を多く食べていたのに対し、気温が低いために木の実があまり手に入らず、魚、肉など動物性の食品にかたよりがちだったからと考えられます。弥生時代に稲作が普及すると虫歯の頻度はさらに上がり、本州では発症率が2倍高くなったようです。

 縄文人の平均寿命は30〜35歳だったと見られますが、多くの人が30代前半で死亡したということではないので気をつけてください。当時は生まれてまもなく亡くなる子どもが多かったために、全体としての平均寿命が低かったのです。最近の研究から、縄文人の約3割が65歳を超えるまで生きていたと報告されています。

KEYWORDS:

『日本人の病気と食の歴史』
著者/奥田 昌子

 

本書を読むだけで健康になる! 長生きできる習慣と秘訣が身につく!
「日本人の体質」を科学的に説き、「正しい健康法」を提唱している奥田昌子医師。メディア出演で人気に!今もっとも注目される内科医にして著述家である。
 日本人誕生から今日までの「食と生活と病気」の歴史を振り返り、日本人の体質に合った正しい「食と健康の奥義」を解き明かす。壮大な「食と健康」の歴史を学べる教養大河ロマンでもある。

◆なぜ日本人は長寿になったのか」
◆日本人はどんな病気になり、何を食べてきたか
◆けっして忘れてはならない「養生の知恵」とは

日本人の体質、病気、食べ物、食事法、習慣、気候、風土……
日本人を長寿にした「和食道」1万年の旅

「医学が進歩するにつれて明らかになったのは、病気を遠ざけ、長寿を楽しむには、薬を飲んだり、手術を受けたりするだけではとうてい足りないということでした。
 食生活や心のありようを含む生活習慣を正さない限り、病気の根は残ります。

 なぜでしょうか。
 それは、体質や病気のかかりやすさは、生活習慣によってかなりの部分が決まるからです。食生活次第で体は良いほうにも悪いほうにも変わります。食べものをうまく選び、生活習慣を整えるのが大切なのはそのためです。健康に良いイメージのある和食も、はじめから健康に良かったわけではないのです。
 日本人は自分たちの体で効果を確かめながら、長い歳月をかけて和食をより良いものにしてきました。体と食のかかわり合いの歴史を調べることで、私たちは多くのことを学べるはずです。
 私は医師として、日本人の体質を踏まえた予防医療を考えてきました。その立場から、日本人の病気と食の歴史をたどり、忘れてはならない教訓や、今の時代に生かすべきヒントを引き出したのが本書です。————「はじめに」より抜粋
《目次》
第1章医術もまじないも「科学」だった~縄文時代から平安時代まで
第2章食べて健康になる思想の広がり~鎌倉時代から安土桃山時代まで1
第3章天下取りの鍵は健康長寿~鎌倉時代から安土桃山時代まで2
第4章太平の世に食養生が花開く~江戸時代
第5章和食を科学する時代が始まった~明治時代、大正時代
第6章和食の〝改善〟が新しい病気をもたらした~昭和時代から現代まで

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奥田 昌子

内科医、著述家

京都大学大学院医学研究科修了。内科医。京都大学博士(医学)。愛知県出身。博士課程にて基礎研究に従事。生命とは何か、健康とは何かを考えるなかで予防医学の理念にひかれ、健診ならびに人間ドック実施機関で20万人以上の診察にあたる。人間ドック認定医。著書に『欧米人とはこんなに違った 日本人の「体質」』(講談社)、『内臓脂肪を最速で落とす』(幻冬舎)、『実はこんなに間違っていた! 日本人の健康法』(大和書房)などがある。


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