昔の日本人の食事は“狩った猪やシカ”ではなく「木の実」がメイン ~日本人の暮らしぶりと食の歴史~ |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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昔の日本人の食事は“狩った猪やシカ”ではなく「木の実」がメイン ~日本人の暮らしぶりと食の歴史~

「和食道」1万年の旅

健康に良いイメージのある和食も、はじめから健康に良かったわけではないのです。日本人は自分たちの体で効果を確かめながら、長い歳月をかけて和食をより良いものにしてきました。体と食のかかわり合いの歴史を調べることで、私たちは多くのことを学べるはずです。(『日本人の病気と食の歴史』奥田 昌子著 より引用)

■木の実を主食に、クルミも米も食べていた縄文時代

 日本列島で人が暮らし始めたのは、はるか大昔のことです。島根県にある遺跡からは11万〜12万年の石器が見つかっており、現在のところ日本最古のものと考えられています。この時期、数万年にわたって続いた氷河期が終わりを迎えようとしていました。

 氷河期には北海道の半分以上にツンドラが広がり、現在では高地に生えるブナの木が西日本の平地にも茂っていたといわれています。海水が凍結したため海面が低く、日本列島は大陸とつながっていました。

 その後、気温が徐々に上昇し、1万5000〜1万6000年前になると森林に落葉樹が混じるようになります。これによりコナラ、クヌギなどの実、いわゆるドングリを入手できるようになって集落が生まれ、調理や貯蔵に使う土器の製造も始まりました。約1万6000年前の青森県の遺跡で発掘された土器は世界最古の土器の一つと考えられています。

 こうして始まった縄文時代は、紀元前約1万1000年から紀元前300年ごろまでの約1万年にわたって続きました。国内の代表的な遺跡に青森県の三内丸山遺跡があります。世界に目を向けると、エジプトにあるクフ王のピラミッドや、ギリシャのパルテノン神殿、中国大陸で万里の長城が造られたのがこの時期です。

 今から6000年前には年間平均気温が現在より2度ほど高くなり、ドングリの林が東北地方のほとんどをおおうまでになりました。

 日本人のルーツについてはさまざまな説がありますが、発掘された縄文人の骨から遺伝子を取り出して調べたところ、面白いことがわかりました。縄文人に近い遺伝子を受け継いでいるのはアジアでも日本人だけで、大陸や東南アジアの人の遺伝子は縄文人と大きく異なっていました。

 2019年に公表された研究結果からは、縄文人の祖先が1万8000年前から3万8000年前のあいだに大陸から日本にやって来て、その後日本で独自に進化したことが示されています。

 また、日本本土で暮らす現代日本人の遺伝子が縄文人と約12パーセント同じであることも明らかになりました。祖父母の親である、ひいおじいさん、ひいおばあさんは、私たちと遺伝子が12・5パーセント共通ですから、ちょうど、ひいおじいさんか、ひいおばあさんに縄文人が一人いる計算になります。アイヌ人と沖縄の人には縄文人の遺伝子がもっと濃く伝わっているようです。

 縄文人はどんな暮らしをしていたのでしょうか。当時は文字がなかったため記録が残っていません、遺跡の調査から食生活がだいたい明らかになっています。

 手作りの槍を手に猪や鹿を追い回していた、というのは誤解で、おもに食べていたのは植物でした。主食にあたるのが栗、クルミ、ドングリなどの木の実です。秋に収穫して貯蔵しておけば一年中食べることができました。

 木の実は穀物にはかなわないものの、比較的カロリーの高い食品です。食べられる部分100グラムで比較すると、白米が358キロカロリーなのに対して栗は164キロカロリー、ドングリの仲間が230〜280キロカロリー、脂肪分が多いクルミにいたっては674キロカロリーもあります。ただし、これは、のちの時代に海外から伝わったクルミのカロリーです。

 日本には江戸時代に大陸から、明治時代以降にアメリカから、二度にわたってクルミが渡来したといわれています。しかし、日本にはオニグルミやヒメグルミと呼ばれる固有のクルミがもともと生えていて、縄文時代にはすでに広く分布していました。

 日本古来のクルミは海外原産のクルミとくらべると殻が堅くて厚く、食べられる部分が少ししかありません。ですが、アメリカのクルミより脂肪分が約20パーセント少ないうえに、渋味が穏やかで、深い味わいがあるそうです。現在でも東北地方では和グルミの別名でクルミそば、クルミゆべしなどが作られています。一度食べてみたいですね。

 山菜やキノコは形が残らないため遺跡からは出てきませんが、おそらく食べていたと思われます。また、稲作が普及する弥生時代以前にも稲は存在し、種をまいて育てていたようです。ヒョウタンや粟、稗、栗の栽培も行われていました。

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『日本人の病気と食の歴史』
著者/奥田 昌子

 

本書を読むだけで健康になる! 長生きできる習慣と秘訣が身につく!
「日本人の体質」を科学的に説き、「正しい健康法」を提唱している奥田昌子医師。メディア出演で人気に!今もっとも注目される内科医にして著述家である。
 日本人誕生から今日までの「食と生活と病気」の歴史を振り返り、日本人の体質に合った正しい「食と健康の奥義」を解き明かす。壮大な「食と健康」の歴史を学べる教養大河ロマンでもある。

◆なぜ日本人は長寿になったのか」
◆日本人はどんな病気になり、何を食べてきたか
◆けっして忘れてはならない「養生の知恵」とは

日本人の体質、病気、食べ物、食事法、習慣、気候、風土……
日本人を長寿にした「和食道」1万年の旅

「医学が進歩するにつれて明らかになったのは、病気を遠ざけ、長寿を楽しむには、薬を飲んだり、手術を受けたりするだけではとうてい足りないということでした。
 食生活や心のありようを含む生活習慣を正さない限り、病気の根は残ります。

 なぜでしょうか。
 それは、体質や病気のかかりやすさは、生活習慣によってかなりの部分が決まるからです。食生活次第で体は良いほうにも悪いほうにも変わります。食べものをうまく選び、生活習慣を整えるのが大切なのはそのためです。健康に良いイメージのある和食も、はじめから健康に良かったわけではないのです。
 日本人は自分たちの体で効果を確かめながら、長い歳月をかけて和食をより良いものにしてきました。体と食のかかわり合いの歴史を調べることで、私たちは多くのことを学べるはずです。
 私は医師として、日本人の体質を踏まえた予防医療を考えてきました。その立場から、日本人の病気と食の歴史をたどり、忘れてはならない教訓や、今の時代に生かすべきヒントを引き出したのが本書です。————「はじめに」より抜粋
《目次》
第1章医術もまじないも「科学」だった~縄文時代から平安時代まで
第2章食べて健康になる思想の広がり~鎌倉時代から安土桃山時代まで1
第3章天下取りの鍵は健康長寿~鎌倉時代から安土桃山時代まで2
第4章太平の世に食養生が花開く~江戸時代
第5章和食を科学する時代が始まった~明治時代、大正時代
第6章和食の〝改善〟が新しい病気をもたらした~昭和時代から現代まで

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奥田 昌子

内科医、著述家

京都大学大学院医学研究科修了。内科医。京都大学博士(医学)。愛知県出身。博士課程にて基礎研究に従事。生命とは何か、健康とは何かを考えるなかで予防医学の理念にひかれ、健診ならびに人間ドック実施機関で20万人以上の診察にあたる。人間ドック認定医。著書に『欧米人とはこんなに違った 日本人の「体質」』(講談社)、『内臓脂肪を最速で落とす』(幻冬舎)、『実はこんなに間違っていた! 日本人の健康法』(大和書房)などがある。


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