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生活に困るほどお金がなくなった時、まずすべきこととは?【沼田和也】

『牧師、閉鎖病棟に入る。』著者・小さな教会の牧師の知恵 第10回

 

 伝道者として駆け出しの頃、わたしは教会に「お金をください」とやってくる人に対して、内心葛藤を覚えながらも、財布から何枚か手渡していた。しかし頻度が重なってくると、わたし自身が疲弊し始めた。わたし一人が(というわけでもないのだろうが)なぜ、こんなに何万円も、どこの誰かも分からない人たちに、渡し続けなければならないのだろう? 宗教家だったらそうするのが当たり前なのだろうか? わたしだって、助けを求めてくる人を疑いたくはない。だが、この人たちはほんとうに、このわたしが今すぐお金をわたさなければならないほど困窮しているのか? 牧師ならお金をくれるだろうと思って、大げさに言っているんじゃないのか? 自分の身を削って施しを続けることも、これ以上は限界だ──そうしてわたしは、現金の手渡しを一切やめた。それなら最初からそうしておけばよさそうなものだが、その結論に至るまでには何万円か、幾人もの人々に手渡し続けるプロセスが必要だったのだろう。

 

 聖書にあるヨベルの年は、制度としての貧困者救済である。それは法であって個人的善意ではない。もちろん、それを実現するためには個々人の祈りが不可欠だったであろう。だが個々人の力だけではどうにもならないということもまた、古代の人々は分かっていたのだ。だから彼らは社会的に解決しようとした。わたしもスタンドプレーで目の前の人を助けようとしては、目の前の人と共倒れになりかける失敗や挫折を繰り返してきたので、この「社会的制度であること」がどれほど大切なことかがよく分かる。

 

「お金がない人」と一口に言っても、教会に尋ねてくる人の場合、複合的な理由で貧困状態に陥っていることがほとんどである。家族が離散していて誰からも支援を受けられなかった人。病身の家族を世話しなければならず、外に出て仕事ができない人。ご本人に心身の疾患や障害があるのだが、社会保障制度をうまく利用できるようになるための知識や機会に恵まれなかった人。明らかな生きづらさを抱えているのだが、それが客観的な障害や疾病であるとは判断されず、福祉の隙間からこぼれ落ちてしまった人...。先にも述べたように、わたしは今、ご本人に直接お金を渡すことをしていない。だがご本人と会える近さであれば、その人の居住地の行政窓口に同行したり、必要に応じて支援機関のNPOを紹介したりしている。

 

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沼田和也

ぬまた かずや

牧師・著述家

日本基督教団 牧師。1972年、兵庫県神戸市生まれ。高校を中退、引きこもる。その後、大検を経て受験浪人中、1995年、灘区にて阪神淡路大震災に遭遇。かろうじて入った大学も中退、再び引きこもるなどの紆余曲折を経た1998年、関西学院大学神学部に入学。2004年、同大学院神学研究科博士課程前期課程修了。そして伝道者の道へ。しかし2015年の初夏、職場でトラブルを起こし、精神科病院の閉鎖病棟に入院する。現在は東京都の小さな教会で再び牧師をしている。ツイッターは@numatakazuya)

 

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  • 沼田 和也
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