《ChapterⅡ:映画オタクになった、きっかけ》

 

 こんばんは!シネフィルカフェへ、ようこそ。

 夏がしぶとく居座ろうとしているけれど、秋も負けじと頭を精一杯に押し付けてきていますね。きみが主役さ。お芋のアイスクリームが美味しい!

 さて!前回は私のおおまかな自己紹介を綴らせていただきました。今回の[ChapterⅡ]ではそもそもなぜ、私が映画オタクへと変貌していったのか。そこをみなさまにお話していこうかと思います。

 さあ、コーヒーを片手に持ってください。シネフィルカフェ、開店です。

 

■母による“映画”の英才教育

 私が映画オタクになったきっかけと原点。それは、母親にあります。

 幼い頃から、私の家のテレビでは気がつけば四六時中、映画が流れていました。母は一日中、映画専門チャンネルをつけて、次から次へとさまざまな映画が垂れ流し。幼い頃の私の生活空間には、自然と映画があったのです。そんな環境のなか育ったので、小学生の頃にはオードリー・ヘプバーン主演の名作(「ローマの休日」や「ティファニーで朝食を」)をはじめ、アカデミー賞受賞作品の数々(「ショーシャンクの空に」や「ライフ・イズ・ビューティフル」)、ブルース・リーの「燃えよドラゴン」などのカンフー映画も観ていました。

 今思うと、良作ばかり観させられていたなあ、と。元々インドアな子どもでして、外で遊ぶのとか暑いし汚れるし疲れるし、あまり好きじゃなかったんです(笑)。なので、学校が終わるともっぱら家にいたので、必然と映画を観る状況下に置かれていたんですよね。

 そんな映画に満ちている家で、映画鑑賞に浸れる空間をつくってくれたのは母親でした。母はかなりの映画ファンで、趣味のテニスと家事をしている時以外は常にリビングで映画を観ていました。母は、幼い私になかなか理解できない難しい物語をわかりやすく解説をしてくれたり、映画スターの生い立ちや性格、ゴシップまでも教えてくれました。(なぜか、俳優の私生活情報にも詳しかったです)

 そんな母親から映画の英才教育を受けまして、高校生になる頃には“映画エリート”に成長した私。周りの友人たちは、友人同士で観ることに楽しさを感じる人が多い中、一人で映画館に行くのが当たり前になっていた私がいました。どんなものよりも映画が好きな少女へと、この頃にはもうなっていたのです。

■ワタシ流の映画の「見方」

 そんな風に育っていた私。人よりかはわりと多くの映画作品を観てきた自負は少なからずあります。そこで、導き出した映画を観るうえで、私なりのこだわりポイントがいくつかあります。それがこちら!

①リズムの良さ
②メッセージ性
③俳優たちの瞳の使い方

 まず、作品全体のリズムの良さ。どんな物語にも起承転結というものはあって、そのひとつひとつに盛り上がりがきちんとついているとまず、ハズレることはないです!一見単調にみえる映画でも、主人公の心の変化や突如起きる事件や出来事による物語への影響をみつけられれば、その作品をなんだか掴めたような気持ちになったり。良いリズムを理解するだけで、作品の世界観に入ることができるからぜひ、挑戦を!

 次に、作品からとれるメッセージ性。「この作品はなにを伝えたいんだろう?」と考えながら観ていると、監督や物語、散りばめられた演出から微かにメッセージが浮き出てきます。めちゃくちゃふざけたコメディ映画でも、「正直でいることの大切さ」だったり、観ているだけで体感温度マイナス30度になるホラー映画でも「愛は偉大なり」と教えてくれたり。映画にはそれぞれ、観客に向けられたメッセージが込められていて、そこに注目して理解するとより映画が楽しくなるはずです。

 そして最後は、俳優たちの瞳の使い方。役を演じるうえで、瞳の使い方をちゃんと知っている俳優が出ている映画は物語に奥行きが出ます。これほんと!瞳をうまくつかうことで役の存在感や細やかな感情を表現できるし、観る側にも伝わってきます。

 私が特に「やっぱりこの人すげえや〜」と出演作品を観るたび感心する俳優が、ブラッド・ピットとモーガン・フリーマン。この二人の瞳の使い方には、センスと経験値が溢れ出ています。最良です。

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