江戸時代に宿場町として栄えた滋賀県草津宿本陣に、新選組が宿泊した際に置き忘れた煙管入れなどが残されていた事が判明! 「歴史人」編集部では早速、新選組に詳しい作家の山村竜也氏に依頼し、現地取材を敢行した。(雑誌『歴史人 2019年10月号』掲載)

 東海道と中山道が合流する草津宿(滋賀県)で、幕末期に本陣田中七左衛門家を利用した人々の忘れ物18点が、先日土蔵内で発見された。

 注目されるのは、それらの品のいくつかには紙製の札が結びつけられており、誰の忘れ物なのかが明記されていたことだ。そのうちの1点、煙管入れと付属の袋に結ばれた紙札には、次のように記されていた。

発見された煙管入れ(下)と付属の袋(上)
煙管自体は残ってなかったが、布製の袋に結びつけられた紙の札には「新選組様、5月9日にお泊まり。壱番の間の忘れ物」と書かれている。

「新選組様五月九日御泊 壱番間ニ御失念物」

 幕末の京都で活躍した新選組が、草津本陣に宿泊した際に忘れた煙管入れ(煙管本体は現存せず)だというのである。もっともこの書き付けだけでは新選組の誰が、何年の5月9日に忘れたものなのかがわからないが、幸運なことにそれを特定できる史料も草津宿には残されていた。

 本陣の宿帳を兼ねた「大福帳」が保存されており、慶応元年(1865)の頁に、次のようにある。

「同(五月九日)土山立
一、新選組
  圡方歳三様
  斎藤 一様
    伊藤甲子太郎様
  藤堂平助様
 右上下三拾弐人、弐百五拾文宛御
払、外弐拾四文蝋燭弐拾丁払」

 日付が一致しているところからみて、この日のものであることは間違いないだろう。新選組はこのとき江戸で新入隊士を募集し、土方歳三ら幹部4人を含む58人の一行が京都への帰途に草津宿に宿泊した。32人とあるのは本陣の収容能力によるもので、残りは脇本陣もしくは他の旅籠に分宿したと思われる。

すべてが新選組の忘れ物というわけではないが……​。旅の安全を願う「お守り」類
今回見つかった18点の忘れ物のうち、約半数は「守袋」であった。江戸時代の旅が危険を伴うものだったので、新選組といえどもお守りを持ち歩いて、安全を祈願していたのだ。