「母に捨てられた…」そう思っていた「私」が、あることがきっかけで、母と文通をすることになったーー。73歳の男性・つげちゃんは、亡き母への手紙の中で、当時のことを振り返っています。「母の日参り手紙コンクール」に応募された3000通を超える手紙の中から、書籍『亡き母への手紙』(KKベストセラーズ)に掲載された一通です。生後60日で別れた母、そして十数年前に発見した亡き父の日記…。時を経た今だから綴ることができた、つげちゃんの母への手紙を、手紙の背景についてのお話とともに紹介します。

母に捨てられた…と恨んでいた私

母への手紙「会うことがなかった母との文通」

                   つ げ ち ゃ ん(男性73歳・神奈川県)

 4年前のある日、あなたの息子だという男性から電話を頂きました。

 自己紹介の後、「母が昨年末、亡くなりました。 92歳でした。あなたのことを母がよく言ってたものですから......」と。


 私は生後60日目、父が病で逝き、あなたは私を祖父母に託し実家に帰ったと。以来、あなたにお会いしていません。

 13年程前、私は定年を迎えました。そのとき、 60数年前の父の日記を発

 

見、その中に父のあなたへの想いがいっぱい書かれていました。

 それまで私は「母に捨てられた」との恨みを持っていました。でも、父の「あな たへの想い」を知って、この想いをあなたに知らせたいと思ったのです。

「いとほしき わが妻ならば きみを抱き ふたりで熱き頰をつけて寝入」 日記をコピー。初めてあなたに手紙を書きました。返事を頂きました。「お父さんは本当に優しい人でした」と。

 以来手紙のやりとりをしましたね。

 妻から是非にと勧められて買ったバッグを「母の日」に贈ったこともありました。 恨みはありませんでした。

 ご子息から電話を頂いたとき、「一度はお会いしておけば......」との思いが心に 迫りました。

 お母さん、父さんにもう会えましたか。父さんに二度目のお嫁入りですね。

 お母さん、父さんとやすらかに......。

 

<『会うことがなかった母との文通』> の向こう側

『私が生後60日目、父が病で逝き、あなたは私を祖父母に託し実家に帰ったと』

 このことをつげちゃんは小学校のときに、祖父母から聞かされました。

 小学校の父兄参観日がやって来ると、クラスの友だちの両親よりふた回りも歳が離れたつげちゃんの祖母が教室に立っている。子どもながらにどこか気恥ずかしさを感じ、つくづく自分は『母に捨てられた』と恨んだと言います。

 

 つげちゃんは大学に通っているときに、母から一通の手紙を受け取りました。そこには 「あなたに逢いたい」と書かれていました。

「逢っていいものだろうか?」

 祖母にそのことを伝えると、どこが寂しい表情をしたそうです。

「今更逢う気などないよ」と答えると祖母がほっとしたように、にっこりと笑ってくれた。

 以来、母には逢ってはいけないものだとつげちゃんは心に誓ったのでした。

 そんなつげちゃんの決心を一変させたのが10年前のことです。

 定年を迎え、身辺整理をしていたら、生後60日目で亡くなった父の日記が出てきたのです。そこには母を愛おしく思う父の気持ちが生々しく綴られていました。

「この思いを知らせてあげなければ」と自分を捨てたと恨んでいた母に初めて手紙を書きました。すると、母からも返信が。互いに交わす文通はおよそ5年続きました。

 母の手紙には「父が優しかったこと」、そして「自分の名前を母がつけたこと」などが 書かれており、それを読むにつれて、いつしか恨みは消えていったそうです。

「逢ってみようか」と連絡を取ってみると、施設に入ったことがわかり、そこに手紙を書きましたが返信も来ない。

 そして、「食べたお餅を詰まらせて、亡くなった」という悲しい知らせを受け取ったのです。

「心残りは、一度会っておけば良かった」

 手紙に書いた後悔の想いを、きっと母が受け取ってくれたとつげちゃんは信じています。

【「母の日参り」パートナーシップ】 (編)

戦後70余年にわたり、我が国の家庭文化に深く根を下ろした「母の日」。近年、GWから母の日(5月の第2日曜日)にかけてお墓参りを行い、亡き母を偲ぶとともに家族の絆を確認することが、中高年を中心に広がっています。「母の日参りパートナーシップ」は、 「母の日」が実は「亡き母を偲ぶ一人の女性の呼びかけで始まった」という由来を知り、長寿社会の今後にも色褪せることなく、人々の心に豊かさをもたらす記念日であるように、ソーシャル・キャンペーンを展開している13団体が集結しています。