異端的正統派・深田恭子は何に「適応」できなかったのか【宝泉薫】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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異端的正統派・深田恭子は何に「適応」できなかったのか【宝泉薫】

 

 彼女は1996年、ホリプロタレントスカウトキャラバンのグランプリを13歳で受賞。翌年に女優、99年に歌手として、それぞれデビューを飾った。いわば、正統派のアイドル路線だ。

 実際、デビュー前から憧れていたのはJポップのシンデレラ・華原朋美だし、また「マリー・アントワネットの生まれ変わり」を自称するなど、そのお姫さま的なものへの嗜好はアイドル向きともいえた。

 ただ、そのアイドル像はちょっとアナクロなもの。90年代は広末涼子のようなボーイッシュなタイプが主流だったし、そうでなければバラドルかグラドルで成功する必要があった。

 なお、皮肉なことにバラドルの流行を作ったのはホリプロだったりする。80年代半ばに、井森美幸や山瀬まみでこのジャンルを開拓した。一方、グラドルは80年代末からイエローキャブが流行させたが、そのふたつの要素を併せ持つかたちでブレイクしたのがホリプロの優香だ。

 深田とはほぼ同期だが、こちらはスカウトキャラバン組ではない。池袋でスカウトされ、芸名はインターネットの公募で決まった。そんな優香のほうが時代には合っていたわけで、深田は正統派ではあるものの、時代的には異端だった。

 それでも、深田はよく持ちこたえた。正統派アイドルとして生きていくことの大変さは、スカウトキャラバンの大先輩で、激痩せなどの体調不良により、二十歳でアイドルをやめた堀ちえみなどが実証済みだが、こちらは20年以上も正統派路線、それもお姫さま的な芸風を続けてきたのだ。

 なかでも映画「下妻物語」や「ルパンの娘」(フジテレビ系)といった作品は、彼女ならではの非日常的な華やエロスが作品に結実したもの。そういう仕事ぶりからは、芸能界にも十分に適応できているように見えた。

 が、彼女はインタビューでこんな自己分析もしている。

「物事を途中で投げ出したことがないんです。というよりは、投げ出せなくって。例えば子どもの頃習い事を始めるじゃないですか。やり始めてみると、練習が大変だったり、思っていたのと違っていたり、ということもありますよね。でも『やめたい』と口にできなかった」

 もちろん、芸能活動が嫌いだったわけではないだろうが、やめたいと思ったこともあったに違いない。もともと、人見知りが激しい性格という彼女が適応できているように見えたのは、この「やめたい」と言えない性格のおかげでもあったのだろう。

 とはいえ、女性芸能人には「結婚」や「出産」という手がある。これによって、やめたり休んだりということがしやすいのだ。山口百恵も松田聖子も安室奈美恵も、前出の優香も、そうやってスターの座から降りたり、仕事と距離を作って自分をリセットしたりしてきた。

 

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宝泉 薫

ほうせん かおる

1964年生まれ。主にテレビ・音楽、ダイエット・メンタルヘルスについて執筆。1995年に『ドキュメント摂食障害―明日の私を見つめて』(時事通信社・加藤秀樹名義)を出版する。2016年には『痩せ姫 生きづらさの果てに』(KKベストセラーズ)が話題に。近刊に『あのアイドルがなぜヌードに』(文春ムック)『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)、最新刊に『平成の死 追悼は生きる糧』(KKベストセラーズ)がある。ツイッターは、@fuji507で更新中。 


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