■無視できぬ朝廷のあやしげな態度

物部氏の廃仏行為『少年日本歴史読本. 第七編』萩野由之編 博文館刊 国立国会図書館蔵

 聖徳太子暗殺の動機という点から考えると、蘇我氏と物部氏が真っ先に疑われる。しかしそうなると新たな矛盾が生じてくる。

 つまり、もしこの両者のどちらかが単独で犯行におよんだとすれば、朝廷は『日本書紀』のなかで当然これを糾弾してしかるべきである。ところが、『日本書紀』は聖徳太子の死を単なる病死としてとらえている節があり、聖徳太子暗殺説を言外に否定して しまっている。
このような朝廷の不自然な態度の裏には、次のような思惑が潜んでいたことを物 語っている。

 すなわち、朝廷にとっても聖徳太子の存在を消し去りたいとする思いは、他にひけをとらぬほど強かったのではないかということである。
その理由の第一は、第1章で述べたような外交政策をめぐるすれ違いである。六~八世紀にかけての動乱の日本史を動かしていたものは、まさに朝鮮半島をめぐるかけひきだった。多くの事件が外交問題によってひきおこされていた現実からみても、親百済外交を捨ててしまった聖徳太子を抹殺しなければならない動機が、朝廷には十分備わっていたはずである。 

 それだけではない。これも前述したように、聖徳太子は日本の近代化をめざし、日本に律令制度を導入しようと画策した中心人物である。旧態依然とした当時の社会制度のなかで、甘い汁を吸ってのうのうと生きていた旧豪族や守旧派の皇族にとって、太子の存在はさぞやうとましかったにちがいない。 
さらに聖徳太子は蘇我色の濃い皇族である。これも朝廷にとっておもしろいはずがあるまい。 

 

『日本書紀』舒明即位前紀によれば、聖徳太子の子・山背大兄王の異母弟・泊瀬仲王の言葉として、次のような記述がある。 
「われわれ親子(聖徳太子や山背大兄王を含めた上宮王家)は、みな蘇我から出ている。 これは誰もがよく知るところだ。したがってわれわれは、蘇我氏を高い山のように頼りにしている」

 この泊瀬仲王の供述が事実とすれば、聖徳太子や上宮王家は、みずからが蘇我氏出身の皇族であることをかなり意識していたことは明白である。したがって、この一族が朝廷を牛耳ることは、他の反蘇我系皇族にとって脅威であっただろう。 

 しかも、聖徳太子は積極的に仏教導入を推し進めた人物である。アマテラスという神道の最高神を皇祖にもつ大王家にすれば、仏教導入によってアマテラスの神格がおとしめられるような事態は、なんとしてでも阻止しなければならなかったはずである。

〈『聖徳太子は誰に殺された?』〉より