続いて、十二運星を見ていく。

「衰(すい)」

 物事を客観的に捉えるのが得意で、知識が豊富で長老的な役割を果たす。引っ込み思案で地味な生活を好む。

 維新十傑に数えながらも、名がそれほど知られていないのは、この部分が強かったからだろうか。清綱はまた、西南戦争を経て逆賊となった西郷隆盛の復権を願った。当時名前を出すのもはばかれる中、自分のことよりも他人のことを考えて行動した。隆盛の言葉として「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。此の仕抹に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり 西郷南洲翁遺訓 第30条」があるが、隆盛は清綱こそがこの人物だと話したという記録も残っている。

「長生(ちょうせい)」

 人から信用されるため、保険の営業や占い師に向いている。穏やかな性格で家を守る役目がある。

 清綱は明治天皇の御製の指導に当たったが、当時天皇と直に面会でき、しかも指導もできるということは、明治天皇からの信頼も厚かったのだろう。

「死(し)」

 霊感が強くスピリチュアルな星。ゼロから何かを作り出すことが得意で、現世よりも死後の世界に興味を持っている。

 

 今回の鑑定結果について、黒田清綱の曽孫、薩摩黒田家当主の黒田清久氏に取材をした。「遊び心が多いのは少し意外だけど、納得できる部分も多くある」と語り、コメントを頂いた。下記、黒田氏の見解である。

(日柱の干支「己酉」について)

 滝園社のお弟子さんは1000人とも言われる。要職に就いていながらにして、和歌の弟子も育てた。確かに曽祖父は、相当面倒見がよかったと思う。

(通変星 遊び心について)

 最初は清輝が画家になることを反対したが、最終的には認めている。当時、画家の身分が低く、子爵家を継ぎ、政治と法律を学ぼうとする者が画家になることはあり得なかった。しかし、最終的に認めたということは、おおらかな部分もあったのだろう。また、父から聞いた話によると、「画家になりたい」という清輝の論外な要望に対して「諾」とたった一字、手紙に書いて送ったと聞いている。この行動それ自体にも遊び心がある。

(通変星 行動力について)

 西南戦争で賊軍となった西郷隆盛の味方になるのは当時大変なこと。三条実美や明治天皇に「自分の爵位を返上してもいいから西郷さんの復権をお願いします」と願い出たと聞く。覚悟がなければできないこと。今の「西郷どん」ブームを見ていれば、曽祖父の行動に大きな意味があったことがわかる。

(十二運星 長生 衰について)

 史料にはもちろん残っていないが、幕末、曽祖父は京都でスパイをしていたと聞いている。薩長土肥の人物、坂本龍馬や岡田以蔵等と付き合ったり、かと思えば、新撰組に入り込んだりして情報を得、隆盛に流していたと聞く。人から信頼され、かつ客観的な視点を持っていた曽祖父だからこその行動だろう。

黒田清綱の曽孫、薩摩黒田家当主の黒田清久氏と筆者。

 今回、清綱の存在に触れ、その生き方におおいに感銘を受けるとともに、表に出ない大勢の人々の活躍と思いの上に今が成っていることを実感した。なお、清綱の家系を遡ると、戦国時代に豊臣秀吉の軍師として活躍した、黒田官兵衛につながり、さらに遡ると宇多天皇に行きつく。命を繋ぐ、家を守ることの重みを改めて感じた。

■四柱推命とは?
 古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。
具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。
「国史大辞典」に記載されている生年月日を、「和洋暦換算事典」を用いて現行暦に換算し鑑定している。

 【参考文献】
・「黒田家歌集」 黒田家歌集編纂会 昭栄印刷 (1957)
・「特別展 生誕150年 黒田清輝―日本近代絵画の巨匠」東京国立博物館 東京文化財研究所 美術出版社 編(2016)
・黒田清輝〈湖畔〉美術研究作品資料第5冊 中央公論美術出版(2008)