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韓国人シンガーKが日本の伝統を旅する。「修理ができない時代はあってはならない」

第9回 からくり人形 犬山祭保存会事務局長・溝口正成さん、からくり人形師・九代玉屋庄兵衛さん

国内外で賞賛される
九代玉屋庄兵衛さん

続いて、Kさんは名古屋市にある、からくり人形師九代玉屋庄兵衛さんのギャラリーへ足を運びました。

からくり人形師・九代玉屋庄兵衛さん。

 初代、玉屋庄兵衛は、徳川家康の菩提を弔う名古屋城の東照宮祭で使う山車のからくりを作るために、1733年京都から名古屋玉屋町に移住しました。徳川吉宗のもと全国各地で質素倹約が奨励されるなか、尾張藩の徳川宗春の祭奨励策が、山車からくりや和時計製作など、仕掛け技術の発展の原点となった。そしてその技術は、初代庄兵衛から現在の九代へと続いている。

 九代玉屋庄兵衛さんは、25歳で7代に弟子入り。過去の設計図をもとにした人形の復元、修復だけでなく、古典作品を現代にアレンジした新作も製作。国内だけでなく、イギリスの大英博物館への茶運び人形の寄贈や海外での実演活動も行っている。

 

玉屋 茶運び人形はぜんまい仕掛けになっています。今、Kさんにお茶を運びますね。
K 来ました。お茶碗をとって、人形に返します。オッ、Uターンして戻っていきました!
玉屋 衣装をとって、仕掛けを見せますね。この人形はお茶碗がスイッチになっているんです。お茶碗の重さでスイッチが入って動きだします。
K すごい!
 

 

玉屋 ここに大きな歯車があるんですが、ぜんまいを巻くと、ここから畳一畳分動いて、Uターンする仕掛けになっているんです。だから、お客さんとの距離を考えて、動かし始めます。本当はお客さんがお茶碗をとらなくても、Uターンしてしまうんですよ。だから、回りかけたところで、主人が「お茶をどうぞ」と声をかけるんですよ。続いて、弓曳童子を見てください。
K 弓を弾いて的に当てるんですよね。

 

玉屋 日本の最高傑作ですね。出来たのが1850年代です。人形が乗る台は漆塗りなんですが、金の粉を振ってから漆を塗る梨地という技法。美しいでしょ。(台の前面を開けながら)この台の中にもうひとりの人形がいます。この唐子(からこ)が一生懸命歯車を回して、上の人形が動くんです。
K 矢をとって、的に顔を向けて、矢を弓にセットすると、顔が少し上を向いてから、弓を弾くんですね。関節の動きが柔らかい。
 

 

玉屋 人形は顔が動くことで、表情を変えるんです。
K 本当は変わりませんよね。
玉屋 能面もそうですが、一枚の面で悲しい顔、笑っている顔を表現できるんです。下を向けば悲しそうに見え、上を向くと笑っているように見ます。
K ほう。本当に感情が伝わってきますね。
玉屋 次は文字書き人形です。左手に持った台に紙を置くと、右手の筆で一文字、口にくわえた筆で二文字目を書くんです。
K これもぜんまい仕掛けですか?
玉屋 違います。おもりを使って動かしているんです。

数十年の修行で
作り出される人形の顔

 

K からくり人形を製作するうえで、一番苦労されるところは?
玉屋 やはり顔なんです。動くことで表情が変わりますから。
K 僕はてっきり仕掛けやからくりを作ることが、苦労するポイントかと思ってたんですが、顔なんですね。
玉屋 顔です。顔の良い悪いで、人形の出来が判断されますから。機械的な部分、歯車や仕掛けというのは、時間があればなんとか作れるものですが、顔は何十年修業しながら、自分の顔を作っていく部分が一番難しいんです。
K 顔に作家の個性が出るのかもしれませんね、深い話です。何百年と続く技術、伝統を守っていく中で大切にされているのはどんなことですか?
 

 

玉屋 この地方には400以上の山車があり、それぞれのお祭りがあります。たくさんの人形があるわけですが、それを復元、修復することが今、とても難しくなっています。まず材料が不足している。人形のバネになる部分は昔からくじらのヒゲを使っているんですが、そのくじらのヒゲが手に入らないし、それにかわるバネもないんです。
K 物理的な意味での維持が困難な状況なんですね。
玉屋 僕の代だけでなく、これから何十年、10代、15代と繋げていくということを考えているわけですが、やはりそれが一番苦労することですね。
K そういう現代で、からくり人形が求められているものは、どんなことだと考えていますか?

 

玉屋 からくり人形は数そのものがとても少ないんです。だから、世界中の人に350年前に生まれた茶運び人形を近くて見てもらえる場所、これが今の日本の技術を作ったんですよと説明できる施設は必要だと思います。
K 身近に拝見し、触れられる場所は貴重だと思います。今後、玉屋さんがやらなくてはいけないことは?
玉屋 江戸時代にできた人形を動かし続けることですね。犬山の山車の人形が壊れて、玉屋がないから修理できない、お祭りができないということはあってはいけない。それが一番大事なことだと思っています。だからこそ、続けていくことが大事だと。
K 玉屋さんにとってのからくり人形とは?
玉屋 やっぱり人を楽しませることですね。
K それこそが、からくり人形の原点なんですね。素晴らしい。

 

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寺野 典子

てらの のりこ

1965年兵庫県生まれ。ライター・編集者。音楽誌や一般誌などで仕事をしたのち、92年からJリーグ、日本代表を取材。「Number」「サッカーダイジェスト」など多くの雑誌に寄稿する。著作「未来は僕らの手のなか」「未完成 ジュビロ磐田の戦い」「楽しむことは楽じゃない」ほか。日本を代表するサッカー選手たち(中村俊輔、内田篤人、長友佑都ら)のインタビュー集「突破論。」のほか中村俊輔選手や長友佑都選手の書籍の構成なども務める。


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