【唐、新羅を経て日本に根付いた奈良筆 「アートを生み出す道具もまたアートだ」】 | BEST TiMESコラム

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唐、新羅を経て日本に根付いた奈良筆 「アートを生み出す道具もまたアートだ」

第5回 奈良筆 田中千代美さん

奈良市の平城京を初めて訪れたKさんは、1300年前に建立された朱雀門に懐かしさを覚えた。彼の故郷・韓国ソウルにある景福宮ととても似ているのだ。そして平城宮跡資料館に足を運び、1300年前にそこで暮らした人々のメッセージに触れ、想いが綴られた道具、奈良筆の工房へ。

1300年前の生活を伝える木簡にはとてもロマンがある

中本さん(左)の説明を聞くKさん。

 奈良時代に日本の首都であった平城京は、東西約 4.2 ㎞、南北約 4.8 ㎞あり、街は基盤目のように道が作られ、天皇の住まい「御所」を中心に、数多くの役所があり、役人たちがここで暮らしていました。そんな平城京の発掘研究は江戸時代から行われ、大極殿の復元や数々の土器や瓦、木簡などが発掘され、平城京跡地資料館では、それらを見ることができる。
 平城京解説ボランティアの中本博章さんの案内で、Kさんも資料館へ。まずは平城京の全貌が見られる模型に驚く。

K 1300年前に作られたということですが、その時代にこれほど大きなものを作る技術があったんですね。
中本 日本にその技術はなかったのですが、唐、今でいう中国を経由し、朝鮮半島の新羅の国を通して、技術者が日本へやってました。そして、瓦の焼き方など、さまざまな建設技術を伝承したんです。

当時の建物を再現した復元模型。

K この模型にある足場は、現在の工事現場にあるのと同じようなものですね。
中本 そうなんです。足場を組むことでクレーンなどを使わなくても、大きな柱を建ることができたんですね。
K 平城京の正門でもある朱雀門は、ソウルにある景福門ととても似ているんですよ。歴史は平城京のほうが古いのですけれど、
中本 1300年前は日本と韓国は絶えず交流がありましたからね。
K 技術だけでなく、デザイン面での影響も受けていたのかもしれませんね。

発掘された様々な木簡。

中本 ここでは数々の木簡を展示しているんです。木簡というのは、出土文字資料のひとつなのですが、当時、紙はとても貴重品だったので、木の札に墨で文字を書いていたんですね。しかも、その木簡の文字を小刀で削っているんです。削ったうえに改めて違う文字を書く。小刀は消しゴムの役割を果たしていたんですよ。
K エコですね、それは。
中本 行政上の資料や命令だけでなく、絵が描いてあったり、ちょっとした愚痴が書かれていることもあるんですよ。「こんなに一生懸命がんばっているのに給料が上がらないよ」みたいな。
K ツイッターみたいつぶやきですね(笑)
中本 公文書や歴史を裏付けるような重要な資料と共に、市民たちの声もそこにあるんです。
K 僕もそうですが、作詞するにしても、メッセージを書くにしても、ノートや紙ですらなくなって、パソコンやスマートフォンになっています。それって冷たいなぁと思いつつも、やはり便利さに負けてしまって。だけど、1300年後の僕たちも見ることができる。こうやって残っている木簡にはとてもロマンを感じますね。

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寺野 典子

てらの のりこ

1965年兵庫県生まれ。ライター・編集者。音楽誌や一般誌などで仕事をしたのち、92年からJリーグ、日本代表を取材。「Number」「サッカーダイジェスト」など多くの雑誌に寄稿する。著作「未来は僕らの手のなか」「未完成 ジュビロ磐田の戦い」「楽しむことは楽じゃない」ほか。日本を代表するサッカー選手たち(中村俊輔、内田篤人、長友佑都ら)のインタビュー集「突破論。」のほか中村俊輔選手や長友佑都選手の書籍の構成なども務める。


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