続いて、通変星、蔵干通変星から次郎の性格を読み解いていく。通変星、蔵干通変星をわかりやすく円グラフに表すと下記のようになる。

 

 

知性…様々な分野の知識が豊富で、何かを学ぶことに喜びを感じる。頭の回転が速く、物事を論理的に捉えることが上手

行動力…頭で考えるよりも行動で結果を出す。未知の分野に挑戦する意欲が強く、交渉力や営業力を磨けば成功できる

人脈…さりげない気配りができて誰とでも仲良くなれる。サービス精神が旺盛でコミュニケーション能力も高く人を動かせる。

自立心…他人に依存することなく、自分が信じた道を突き進む強い精神性。リーダーシップを発揮しフリーで活躍できる。

遊び心…楽しいことを企画する等、生活に遊びを取り入れることが自然とできる。芸術面の才能があり、表現力が豊富。

 

〇行動力40%(正官2つ)​

 行動力は、頭で考えるよりも行動で結果を出そうとする星。中でも「正官(せいかん)」は、真面目でプライドが高く、責任感が強い星。「正官」を命式に2つ持っている次郎は、この性質が強まっていたものと思われる。
 次郎のプライドが高さは非常に納得が行く。第二次世界大戦の後、当時の外務大臣、吉田茂に請われ、次郎は終戦連絡事務局の参与(その後次長)として公職に就いた。
 GHQ当局との交渉が主な仕事であったが、次郎はGHQに「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた。
こんなエピソードが残る。天皇からマッカーサー宛のクリスマスプレゼントを届けたときのこと。マッカーサーに挨拶をし、贈り物を差し出した。すると、マッカーサーはじゅうたんを親指で示し、「その辺に置いて行ってくれ」と告げた。これに対し、次郎は大激怒。烈火のごとく怒り、マッカーサーを一喝した。
「これは天皇陛下からの贈り物である。たとえ敗戦国とはいえ、統治者からの贈り物である。それなりの礼を尽くして受け取るのが原則ではないか。それなのに、その辺に置いておけとは何事か!礼儀をわきまえない者に贈り物を渡すことはできない」
と贈り物を持ち帰ってしまった。驚いたマッカーサーは、秘書官を呼び寄せ新たなテーブルを用意させ、その上にうやうやしく贈り物を置いたという。
 また、その真面目さからだろうか。次郎が常にこだわり、その矜持を支えたもの、それは「プリンシプル」だ。人間としての原理原則に忠実であることを常に説いた。「プリンシプルを持って生きれば、人生に迷う事はない」という言葉を残しているが、妻・正子は「毎日毎日、プリンシプル、プリンシプルとまことにうるさいことであった」と語っている。日本の武士道を地で行った人物であると思う。

 

〇遊び心30%(傷官2つ)

 遊び心は、生活に遊びを取り入れることが自然とでき、芸術面での才能がある星。中でも「傷官(しょうかん)」はガラスのハート。起伏が激しく、繊細でナイーブ、傷つきやすい。また、頭がキレ、交渉能力は抜群。芸術の星でもあり、おしゃれにこだわる。次郎は「傷官」を2つ持っており、この性質が強まっていたものと予想される。
 次郎といえば、ファッションリーダー。「日本で初めてジーンズを履いた男」として知られ、Tシャツとジーンズ姿の写真は目に焼き付いている。スーツは全てイギリススタイルのビスポーク。また、こだわりも強く、日本を代表するデザイナー・三宅一生に対し「ツイードなんて、買って直ぐ着るものじゃないよ。3年くらい軒下に干したり、雨ざらしにして、くたびれた頃着るんだよ」とアドバイスしたこともあるという。
 80歳になるまでポルシェ911と乗り回し、タバコや葉巻をふかす姿は日本のダンディズムの象徴である。
 また、「遊び心」は生活に自然と遊びを取り入れることができる星だが、次郎が83歳で亡くなる直前、注射のため看護師から利き腕を問われると、「右利きです。夜は左。」と話したという。夜は左利きというのは、お酒飲みの隠語。死の直前にまで、このような冗談をかましていたと。次郎はその後、眠るように亡くなった。

 

〇知性20%(偏印)

 知性は何かを学ぶことが好きで、物事を論理的に捉えるのが得意。中でも「偏印(へんいん)」は、学校以外の勉強が得意で、ひらめきや企画力がある。外国に縁があり、個性的、変わり者の星でもある。
 第二次世界大戦中、次郎は人目をはばかることなく、「この戦争は必ず負ける」と公言していた。東京は爆撃され食糧難に陥るだろうと予測し、当時勤めていた会社を辞めて鶴川村(現在の町田氏北部)に移住。自ら農業を始めた。戦時中、次郎は自分の畑でとれた野菜を知り合いに配り歩いていたという。日本の敗戦等、誰もが思いもしなかった時代、いち早く世界の流れを読んで行動に移した次郎は、ひらめき、企画力ともに抜群だったのだろう。