■バストーニュ守備隊司令官からドイツ軍司令官へ。
「ナッツ!(バカたれ!)」

写真を拡大 ドイツ軍の包囲環に突破口を穿ち、最初にバストーニュに到着した第37戦車大隊ボッゲス中尉の愛車M4A3E2ジャンボの「コブラ・キング」号。車体側面にチョークで「最初にバストーニュに入城」のメッセージが記されている。M4A3E2は部位によっては通常のM4系の倍の厚さの装甲を備えていた。

 1944年12月16日に突如開始されたドイツ軍乾坤一擲の反攻作戦「ヴァハト・アム・ライン」。この時、フランスとドイツの国境となるライン川近くまで東進していた連合軍は、まさかドイツにこれほどの大攻勢を実施する力は残されていないものとたかを括っていたため、完全に隙を突かれることとなった。しかも攻勢主軸の主突破地点は、アメリカ軍の防備がもっとも脆弱なアルデンヌ森林である。ドイツ軍の巨大な奔流の前に、防戦するアメリカ軍部隊は次々と幸福や敗走する事態となった。

 当初、連合軍はドイツ軍の作戦意図を掴むことができなかった。これはいったい何のための、どこを目指した攻勢なのか? 混乱した戦況下、とにかくアルデンヌ地方の交通要衝であるバストーニュは守り切らねばならないという判断が、アメリカ軍側に働いた。そうこうしているうちに、ドイツ軍の攻勢主軸がアルデンヌ森林を抜けて北海方面へと向かっていることが確認された。

 こうなると、バストーニュはなおさら重要な防衛拠点である。道路事情が劣悪で車両の通行が妨げられがちな鬱蒼たるアルデンヌ森林の交通要衝である以上、ここを堅持すれば、ドイツ軍の突進を止められないまでも難渋化させることが可能と思われたからだ。

 そこでバストーニュ方面に、増援として第101空挺師団「スクリーミングイーグルズ」と第82空挺師団「オールアメリカン」が派遣された。9月の「マーケット・ガーデン」作戦に参加し損害の補充と休養にあたっていたところを、急遽、空挺師団ながら輸送機編隊ならぬトラック縦隊で、最前線へと送り込まれたのだ。どこの国でも空挺部隊は精鋭だが、アメリカのこの2個空挺師団もそうだった。特に第101空挺師団は、ドイツ軍が包囲直前のバストーニュへと送り込まれてこれを死守。緊急出動だったため帰国中の師団長が間に合わず、師団砲兵指揮官マッコーリフ准将が臨時に指揮を執っていた。

 激戦が続く中、22日1130時のこと。バストーニュの外縁を守っていた第101空挺師団の小部隊の前に、白旗を掲げた4人のドイツ軍使4人が現われた。彼らが持ってきた降伏勧告書に目を通したマッコーリフは、降伏など論外と一蹴。だが、儀礼として回答しなければならない。悩んだ末、彼はただ一言を返すことにした。かのワーテルローの戦いでフランス軍のカンブロンヌ将軍がいった名言、「クソくらえ!」をもじって「ナッツ!(バカたれ!)」と返書したのだ。これにはドイツ軍使も驚いた。「これは拒否なのですか、それとも受諾なのですか?」と。

 ドイツ軍大攻勢の報に接したヨーロッパ派遣連合軍最高司令官アイゼンハワー大将と幕僚陣は、東へと向かうドイツ軍の奔流の中間地点となるっている孤立したバストーニュに救援を送り込めば、同地の解放になると同時にドイツ軍の攻勢主軸を遮断することになると判断した。そこでザール地方に向けて東進中の猛将パットン率いる第3軍に対し、北上してバストーニュの救援に向かうよう命じた。

 あらかじめ決められた攻勢軸に沿って進撃中の1個軍という巨大な軍隊の進路を北に90度曲げるのは相当な難事だが、「ヴァハト・アム・ライン」作戦の初動期から自分の第3軍の出番を予測していたパットンは、短時間で見事に進撃方向を転換。第3軍でもっとも信頼する第4機甲師団「ブレイクスルー」を先鋒に据えて、バストーニュへの突進を開始した。同師団は大損害にもめげず、味方の航空支援を受けながら着実に前進。

 師団が擁するA、B、Rの3つの戦闘団のうち、もっとも小規模なR戦闘団を指揮するエイブラムズ中佐は、固い決意を秘めて愛車のM4シャーマン「サンダーボルトIV号」の車上の人となっていた。「何としてもバストーニュの守備隊と連絡をつけてやろう」と。

 今日、M1戦車にその名を残す若き日のエイブラムズは、直率の第37戦車大隊を中心とするR戦闘団をしゃにむに突き進めた。先頭は、ボッゲス中尉が車長を務めるM4シャーマン系の重装甲型M4A3E2ジャンボの「コブラ・キング」号。

 26日1655時、第101空挺師団第326空挺工兵大隊の一部が守る道路封鎖点に戦車の音が近づいてきた。同大隊のウェブスター中尉は、それが友軍のM4であることに気づく。中尉は走り寄ると、車長ハッチから身を乗り出したボッゲスと握手。こうしてついに、第3軍とバストーニュ守備隊との連絡ははたされたのである。