■「プロホロフカ戦車遭遇戦」はドイツ軍が大勝も…

クルスクの草原を進むドイツ軍戦車部隊。手前の砲身はおそらくIV号戦車の48口径7.5cm砲のもの。「ツィタデレ」作戦では、相手に与えた損害という点でドイツ軍は優位に立ったものの、目的を達成できなかったため戦略的には敗れたといえる。

 「ツィタデレ」作戦中は随所で戦車対戦車の激戦が展開されたが、最大のそれは今日、プロホロフカ戦車戦と呼ばれているものだ。ところでこの名称についてだが、実際には1日以上の時間経過のなかで、迎撃のため五月雨式に突進して来るソ連軍戦車梯団を前進移動中のドイツ軍戦車部隊が適宜撃破したため、筆者は「遭遇」の語を付け加えて、「プロホロフカ戦車遭遇戦」と称している。

 7月5日の作戦開始以来、激戦が続くなか、クルスク南方のプロホロフカに両軍の注目が集まった。鉄道駅がある同地は、ソ連軍にとっては東方からの増援の集結地だった。逆にドイツ軍からみれば、同地を奪取することで増援が阻止でき、クルスク南部の防衛態勢を弱体化できる。

 そこで鬼才フォン・マンシュタイン元帥が率いる「下顎」を務める南方軍集団中、最精鋭の誉れ高いハウサーSS大将のSS第2装甲軍団が同地の奪取に向かった。

 一方、ソ連側はプロホロフカの近くにロトミストロフ中将の第5親衛戦車軍を配していた。SS第2装甲軍団は南西から同地に向かっており、同じドイツ軍のケンプフ大将率いるケンプフ軍支隊の第3装甲軍団は南から近づいていた。このままだと第5親衛戦車軍は挟撃される恐れがあったが、後者はソ連側のパック・フロントに捉まって前進速度が著しく低下。これを知ったロトミストロフは、先にSS第2装甲軍団を攻撃することにした。

 7月12日、ロトミストロフは各戦車梯団に対し、ドイツ軍に向けて突進せよと命じた。この「戦車の奔流」を受け止めることになるSS第2装甲軍団は、西からSS第3“トーテンコップフ”、中央はSS第1“ライプシュタンダルテ・アドルフ・ヒトラー”、東にはSS第2“ダス・ライヒ”の各装甲擲弾兵師団という並びで、ユンカースJu87急降下爆撃機やヘンシェルHs129対戦車襲撃機の近接航空支援を受けながら横隊で進んでいた。

 やがてSS第2装甲軍団の各師団の前衛に、第5親衛戦車軍のソ連軍戦車の集団が突進してきた。こうして、歴史にその名を残すプロホロフカ戦車遭遇戦が始まった。ソ連軍の戦車梯団が出現する度、ドイツ軍はアウトレンジで逐次撃破したが、それにもめげずソ連軍戦車は突進してくる。そのためドイツ軍側の交戦の図式は、一方的な遠距離狙撃で始まり、距離を詰めさせないように中距離でも撃ち続け、できる限り近接戦闘を避けるためソ連軍戦車を内懐に飛び込ませないというものだった。

「11時からT-34が3両突っ込んでくる!距離1200!徹甲弾!遠いぞ。よく狙って続けて撃て!」

「正面にT-70の梯団!軽戦車だからってあなどるな!列のはじから順番に食っちまえ!」

「奴を逃がすな!イワンを自分の棺桶に閉じ込めておけ!2時の炎上したT-34を機銃掃射!」

 ソ連軍戦車が大きな犠牲を出しながらも間合いを詰めようとしたのは、ひとつにはドイツ戦車兵に比べて腕の劣るソ連戦車兵でも命中弾を得やすくするため、もうひとつは鹵獲したティーガーIを分析した結果、ソ連軍戦車の砲でその重装甲を破るには近接戦闘を挑むしかないので、そのための決死の戦法ともいわれる。

 結局、プロホロフカ戦車遭遇戦では練度が高いドイツ戦車兵の実力がソ連戦車兵を圧倒。ソ連軍戦車約350両前後を撃破し、自らの損害は30~40両に過ぎなかった(いずれも異説あり)。ドイツ軍の大勝である。だがこの大戦果も、戦局を覆すことはできなかった。

 7月10日に連合軍がシチリア島に上陸し、いよいよ枢軸側主要国のひとつイタリアにリーチがかかったのだ。さらに12日にはソ連軍が第9軍に対する攻勢作戦「クツーゾフ」を発動。「上顎」として南下する機能をはたせなくなってしまった。

 これらの事情を勘案したヒトラーは7月13日、「ツィタデレ」作戦の中止を発令した。