【歴史上の人物を四柱推命で鑑定!第74回】 ~北里柴三郎~<br />2024年度からの1000円札新紙幣の顔は、知性よりも行動力の人! 意外にアーティストで女好き<br /><br /> |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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【歴史上の人物を四柱推命で鑑定!第74回】 ~北里柴三郎~
2024年度からの1000円札新紙幣の顔は、知性よりも行動力の人! 意外にアーティストで女好き

歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第74回~北里柴三郎~

〇人たらしの女好き!
 自星(じせい)(日柱の蔵干通変星)という、プライベートな自分を表す大事な場所に、「偏財(へんざい)」を持っている柴三郎。「偏財」は、ピンからキリまで幅広い人脈を持ち、お人よしな性格。男性で持っていると恋愛の星で、女性好き。
 仕事面ではバリバリ活躍した柴三郎だが、プライベートでは、相当な遊び人だったようである。花柳界でバンバンとお金を使い、富豪の浅野総一郎と芸者の水揚げ競争をしたと逸話が残る。また、新橋の芸者を妾として、子ももうけている。時代が違うので、妾がいることはそれほど驚くものではないが、花柳界での遊びっぷりからかなりの女性好きだったことが伺える。

〇意外にも芸術性が高い!
 命式表の一番大事な場所、オフィシャルな部分の自分を表す主星(しゅせい)(月柱の蔵干通変星)に、「傷官(しょうかん)」を持っている。また、合わせて、十二運星に「病(びょう)」を持っている。これは、いずれも芸術性の高い星。柴三郎はさぞかし芸術性が高かったのだろうと思って色々資料を調べたが、私の見る限りそのような記載はなかった。
 しかし、柴三郎が設立した、学校法人北里研究所は、近代医学に自然と芸術を融合させた「ヒーリングアート」を行っており、北里大学北里研究所病院(白金キャンパス)や北里大学メディカルセンター(北本キャンパス)に多くの絵画を展示しているという。もしかしたら、この作品は、柴三郎の芸術好きが反映されているのかもしれない。

1888年ベルリンにて日本人留学生と 国立国会図書館蔵

 〇目上の人から可愛がられる!
 十二運星に「養(よう)」を持っている柴三郎。「養」は小さい子どもという意味を持つが、小さい子どもを見ると無条件に「かわいい~」と思うように、「養」を持っている人は甘え上手で目上の人から可愛がられる。
 柴三郎は多くの年上の偉人に目を掛けられた。ドイツへの5年間の留学を終え、日本に帰国する頃には世界に認められる医学者になっていた。世界中の研究室からお声がかかる中、柴三郎は日本で伝染病研究所を作りたい、優秀な医者を育てたいという思いを胸に帰国。しかし、内務省に掛け合うもなかなかうまく進まなかった。
 そんな中、助け舟を出したのが、福沢諭吉。「自分が研究所を用意するからすぐに研究しろ!」と諭吉の私費と寄付で私立の伝染病研究所を建てさせた。それまで細菌学の分野では世界にだいぶ遅れをとっていた日本だが、その後、伝染病研究所から赤痢菌を発見した志賀潔や、黄熱病を研究した野口英世を輩出している。そんな中、研究所も手狭になり、移設が望まれるようになる。しかし、伝染病研究所の設立に危険を感じた近所の人たちが大反対。なかなか着工に進まなかった。その時また助け舟を出したのが、福沢諭吉。研究所の移転予定地の隣に息子の家を建てて住まわせたほか、雑誌などで伝染病研究所の安全性を訴えるポジティブキャンペーンを行った。こうして、無事移転に至ったのだ。
 柴三郎にとって諭吉は18歳年上の大先輩。このように、柴三郎に目をかけた先輩は大勢いる。年上の人にしたら、柴三郎はかわいい存在だったのだろう。なお、柴三郎は、諭吉に恩を返すべく、慶應義塾大学医学部の設立の際、無償で尽力したという。 

〇真面目すぎる性格!
 柴三郎は命式表に「正官(せいかん)」を2つ持っている。これは、真面目で几帳面な星。正義感や責任感も強い。よって、ある意味融通の利かない生真面目な性格だったのだろうか。
 柴三郎がドイツに留学中、柴三郎のかつての上司であった、緒方正則が脚気の病原菌を発見したという論文を発表した。しかし、柴三郎は、その論文を批判し、その誤りを証明してしまった。日本人には、一般に「忖度」が存在するのだが、生真面目な柴三郎の辞書にその言葉はなかったのだろう。確かに、今となっては脚気はビタミンB1不足による疾患であることが明らかになっているので、柴三郎の見解が正しかったのだが、このことにより東京大学医学部を敵に回すことになる。
 その結果、血清療法の発見でノーベル賞を受賞できる可能性があったところを、東京大学医学部の支援が得られなかったために幻となってしまったともいわれる。真面目すぎるのも考えものだが、この真理ファーストの考えが日本に新しい風を運んで来てくれたといっても過言ではない。

〇攻撃性が強く短気!
 柴三郎は命式表に「偏官(へんかん)」を持っているが、これは攻撃性が強く短気な星。あまりに考えずに行動に移してしまう。
 予想通り、柴三郎は短気な性格だったようだ。諭吉の支援のもとに、最初は私立であった伝染病研究所だが、後に国立化し、内務省の管轄となった。その後、当時の首相・大隈重信が柴三郎に相談もなく、研究所を文部省管轄に勝手に移してしまった。これに柴三郎は大激怒。所長を辞職し、自分独自で研究所、北里研究所を作ってしまう。これが、北里大学、北里大学付属病院のもとになっている。
 なお、人望の厚かった、柴三郎。この後、伝染病研究所で働いていた人たちのほとんどが北里研究所に移ったという。結果的には伝染病研究所の辞職は正解だったと言えるが、怒りに任せて所長を辞めてしまうなんて、凡人には理解しがたい。

 柴三郎は、70歳で日本医師会の初代会長となり医師会を整えたほか、医師法の改正にも尽力した後、78歳で脳溢血で亡くなった。この激しい性格に対するように、非常に穏やかな最後だったという。柴三郎は、医学校の時代からこのようなことを口にしていた。「ただ、目の前の間者を治してお金をもらうのは医者の仕事ではない。この世に存在する病気を減らしてこれ以上増やさない、これこそが医学の真の使命である」と。早い段階で、予防医学を唱えていたのだ。柴三郎の信念、行動力に敬意を表し、心して新1000円札を使わせて頂きたい。

■四柱推命とは?
古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。
具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。
「国史大辞典」に記載されている生年月日を、「和洋暦換算事典」を用いて現行暦に換算し鑑定している。
■用語説明
日柱の干支:その人の本質を表す重要な部分
主星(しゅせい):月柱の蔵干通変星で、その人を表す最も重要な星。主に仕事運を表す。
自星(じせい):日柱の蔵干通変星で、その人のプライベートな部分の性格を表す重要な星。
 

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妃萃(本名:油川さゆり)

ひすい

青森県八戸市出身。慶應義塾大学 社会学研究科 教育学専攻 修士課程修了、同研究科 同専攻 後期博士課程在学中。2013年鳥海流・鳥海伯萃より四柱推命の指南を受ける。これまで500人以上を鑑定。多数の弟子を輩出。

元放送局報道記者。フリーアナウンサーとして、BS11の番組にレギュラー出演しているほか、ナレーターや司会として活動中。日本の歴史、伝統芸能を伝えるため、歴史勉強会、その他イベントを主宰。自身も大和言葉、辞世の句、武田氏と油川氏等について講演活動を行う。合同会社真己、共同代表。また、2016年6月から「カミムスヒ」というソングユニットで歌手活動を開始。手話検定3級、ホームヘルパー、視覚障害者ガイドヘルパーの資格を持ち、社会福祉活動に積極的に携わる。


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