■真実が伝えられてしまうことを恐れている人々がいる

 この構図、何かに似ていると思ったら、政治や選挙をめぐる状況だ。ここ数年、自民党や安倍晋三政権が多数派の支持を集めているわけだが、野党や反・安倍の人たちは、それが不満で仕方ないらしい。自分たちのほうが正しく、賢く、日本のために真面目に考えているのにと。そのため、圧倒的少数派にもかかわらず、政治にも選挙にも「民意」が反映されていないと文句を言うのである。

 だが、実際には、自民党や安倍政権でよしとする人のほうが多数派なので、現状はそういう「民意」が反映されているにすぎない。大河についても、これまでの作品のほうが面白かったと感じる人が優勢だということを「いだてん」の「数字」ははっきりと示しているのだ。

 それゆえ「いだてん」の不振にも政治を結びつけて云々する人がいる。9月22日放送回ではベルリン五輪の影響で国策化していく幻の東京五輪とでもいったテーマが描かれたが、これについて「完全に2020年への挑戦だよな」「五輪を国のプロパガンダとして扱うことへの」というツイートを見かけた。そのリプ欄には、こういうものが。

「放送開始から『いだてん』に対するネガティブな意見が多く謎だったのですが、(略)真実が伝えられてしまうことを恐れている人々がいるのですね」「安倍晋三への最大の皮肉が込められていましたね。ついでに『ヒトラー』を『安倍晋三』に置き換えると…」「(国が「いだてん」を)潰そうとされるといやなので、あまり騒がずに見守って行こうと思っています」

 陰謀論的な妄想をするのは勝手だが、こういう見方をされるドラマには拒否反応も起きやすい。現代的な「正しさ」など忘れて愉しめるのが大河なのに、このドラマはそれを進んで持ち込んでいるのだ。

 そもそも「いだてん」は大河的に馴染みのうすい時代と人物を扱っているうえ、狂言回しが何人も登場したり、時代が行ったり来たりするなど、じつに複雑な構造になっている。それに加えて、ポリコレという説教くささまで漂っているのだから、そっぽを向く人が続出したのも当然だ。もちろん、その複雑さや説教くささを愉しむ人もいて構わないが「上から目線」は鬱陶しい。だいたい、ドラマを見るのに上も下もないではないか。

 そういえば、前出の矢部は朝ドラの「カーネーション」を絶賛している。筆者の印象としては、ドラマとしてはいいが、朝にはそぐわない作品だった。ヒロインやストーリーが、がさつだったり暗かったりで、朝ドラファン全体にとっても賛否両論だったものだ。

「カーネーション」は当時、映画評論家の町山智浩も絶賛していたが、引き合いに出している別の朝ドラについてのコメントを見たら、毎作ちゃんと見ているわけでもないように感じられた。そういう「プロ」よりは、いわゆる「時計がわり」的な視聴でも、何十年何十作と見続けてきている「素人」のおばさんの見方のほうが信じられる気がしたものだ。

 大河についても、それこそ堀井の言う「わかりやすく新鮮な歴史の絵解き」を期待して、何十年何十作と見続けている人がいるわけで、そちらのほうが「通」だともいえる。実際、そういう人たちは、堀井の言う「メッセージ」など気にせず、歴史をネタにした面白いフィクションを愉しんでいるにすぎない。歴史にも、ドラマにも「正しさ」などという邪念を持ち込まずに見るという意味では、むしろ成熟しているのではないか。

「いだてん」は残念ながら、そういうファンの多くから見放されてしまった。NHKの失敗は、ベタな大河好きをないがしろにしたことだ。これを教訓に、次作以降は大河らしい大河に戻してほしい。来年の「麒麟がくる」が始まるのを今か今かと待ちわびている人間は少なくないのである。