信長暗殺、成功なるか

 既に討ち死にしていた味方の武将である三田村左衛門の首級をおもむろに掲げました。
 そして、戦場をこう叫び回ったといいます。

「良き首を取った! 御大将は何方(いずかた)におわします!」

『絵本太閤記』などによると、織田軍の兵士を偽装して、信長の本陣への接近を図ったのです。
 そして、髪を振り乱して返り血を激しく浴びた直経の迫力に押されてか、この作戦は功を奏して、ついに本陣に辿り着くことに成功しました。
 陣幕の中に入ると、そこには床几に腰を掛けた、主家を滅亡に追い込む元凶の姿がありました。その男を仕留めるまで、あとわずか―――。

「此度こそ刺し違える!」

 幼き頃から仕えた主君に対する、一命を賭した、直経の最後の奉公でした。
 しかし、その時でした―――。

「曲者め!」

 本陣に控えていた織田家の武将が、直経を見破り掴みかかってきたのです。その武将の名前は「竹中久作(たけなか・きゅうさく)」。名軍師として有名な竹中半兵衛の実の弟でした。
 竹中家はもともとは美濃の斎藤家に仕えていましたが、一時的に浅井家に客将として招かれていたため、竹中久作は浅井家の重臣である直経の顔を知っていたと言われています。

 もう少しというところで正体を見破られてしまった直経は、手にしていた首を信長に投げつけ、竹中久作と組み合いました。
 しかし、武勇で知られた直経も、老齢の上に早朝から始まった合戦に満身創痍だったのでしょう、竹中久作によって組み敷かれ、ついに討ち取られてしまいました。
 直経の2度目の信長暗殺計画も直前で失敗に終わり、直経が生涯をかけて尽くした浅井家も、直経の予言通り、これから3年後に信長によって滅亡に追い込まれることになったのです。
 直経の忠臣ぶりに信長も「その志と勇気といい、常の(尋常な)者ならず」と褒め称え、世間では「天晴(あっぱれ)、功(こう)の武士(もののふ)なり」と感じ入ったといいます。

 姉川の古戦場にある直経の討ち死にしたと言われる場所には、かつて「遠藤塚」と呼ばれる塚が直経の墓として語り継がれていました。その後、整備のために移転され、現在は新たな墓が建てられています。この地の小字は「円藤(遠藤)」といい、直経に由来するものだと言われています。毎年7月には、直経を偲んだ追悼法要が執り行われています。

(『あの方を斬ったの…それがしです ~日本史の実行犯~』より)