◆次の日、ノックしても、らもさんが出ない。

 嫌な予感しかしなかった。

 その日は、ライターの小堀さんとも、これまでの思い出話に花が咲き、楽しい時間を過ごせた。ただ、さすがに2時間を過ぎると、インタビューの進行もペースダウンし始めた。
 すると、らもさんはコートのポケットからバーボンのボトルを出して飲み始める。
 これは、今日はもう終わり、という合図らしかった。
 インタビューに使ったスイートルームで、らもさんに泊ってもらった。
 私は、別件の打ち合わせをしに、らもさんを残して飲みに出かけた。
 このとき、どういう事情で、らもさんを残して飲みに出かけたのか覚えていないのだが、明日の朝10時に部屋に迎えに行くと約束をした。
 「朝食をとりながら、打ち合わせをしましょう」と言うと、らもさんは、いつもどおり「ふっ、ふっ、ふっ」と笑った。
 

 さて、事件はその朝に起きた。と言っても私ひとりがパニックになっただけなのだが──。

 10時にらもさんの部屋をノックしたのだが、らもさんが出ない。外にはルームサービスを頼んだのであろう、シャンパンのボトルと食事の皿が置かれている。
 嫌な予感がした。
 こういう時、誰もが同じようなことを心配するのかどうかはわからない。とにかく私はパニックになりかけていた。
 フロントに行って内線電話を鳴らしてもらう。やはり出ない。30分待って、内線を鳴らす。……出ない。
 もともとがこちらで予約した部屋であるので、鍵を開けてもらうのは難しいことではなかった。ただし、多分、私の顔は真っ青であったはずだ。
 

 勇気を出して部屋に入ったが、ベッドにバスローブが脱ぎ捨ててあるだけで、らもさんはいなかった。私はホッとした。最悪の事態は免れたと思った。
 

 ちょっと落ち着いて、マネージャーに連絡を取ろうと思いロビー近くのカフェに入った。すると……いるのだ。らもさんが……いる。
 なぜだか涙が出そうになり、「らもさん!」と呼んだ。
 らもさんは、こちらを見たが無表情である。近くまで行くと、灰皿に吸い殻の山ができている。
 「らもさん、どうしたんですか?」
 ビックリして私が聞くと、らもさんは淡々と言った。
 「8時からおるんよ」
 「えっ?」
 「待ち合わせ、8時違うの?」
 「……」
 

 朝の8時に打ち合わせなど普通はしない。
 ただ、この時も、私が東京に戻るのを気にして、8時というのもあり得ると勘違いしてくれていたのだろうと思う。
 ただ、できれば部屋のキーはフロントに戻していてほしかった。そうすれば、すべては解決していたと思う。

 実はこのあと、1時過ぎまでいたから、3時間ほど話し込んだ。このときの会話が、私にとってのらもさんとの唯一の会話である気がする。

 ◆中島らもさんは、優しい天才であったとつくづく思う

 らもさんは、どういうわけか朝の8時待ち合わせと勘違いして、私を待っていたから、5時間以上その場所にいたことになる。
 今思えば、らもさんは、かなりしんどかったと思う。

 その時の会話は、いつも通り、けっしてテンポの速い会話ではなかったが、いつものらもさんよりは饒舌だった。
 執筆中だった小説「酒気帯び車椅子」の話を聞いた。小説の何がきついかと言えば、田植えに似ているからだと言う。すべての構想は、すぐにできあがるのだが、それをマス目に植えていく作業がきついと。
 天才の感覚だと私は思った。短い間であったが、私はらもさんを天才だと何度も感じた。
 そして、少し前に断った、単発のエッセイの仕事について悔いていた。酒とつまみについての原稿依頼であったと言う。なぜ断ったのか思い出せない。ただ絶対に受けるべき仕事だったように思えてならないと……。
 もともとがそうした単発のエッセイが、自分の原点だったのに……というような話だった。

 そんな話を1時間ほどしたあと、らもさんは言った。
 「階段から落ちて、わからないうちに死ぬのがいい」
 この言葉は、間違いなく聞いた。そして、のちに本当に階段から落ちて亡くなったからであろうが、その時のらもさんとの会話の情景を何度も思い出す。

 なんでそんな話になったのか? 多分、その時の私は、らもさんの弱い部分を引き出そうとしていたのだと思う。
 「そうは言っても、らもさん、本当は弱い人間なんじゃないですか? だからアルコールやらクスリに逃げるんですよね? 日ごろの言動は、虚勢を張っているだけなんじゃありませんか?」
 そんな方向の話を引き出せれば、これまでにないエッセイになるし、本気で私はそう思っていたような気がする。

 だが、そうした話は一切聞けなかった。らもさんに、52歳という年齢は、そろそろ死を意識することはないかとも聞いた。
 らもさんは、意識することはないとはっきり即答した。それに死ぬこともまったく怖くないとも言った。
 「自分は35歳で死ぬと思っていたから、いつ死んでもいい。できれば、酔ったまま階段から落ちて死ぬのが一番いい」と言ったのだ。

 「異人伝」が刊行されて約一カ月後にらもさんは亡くなった。本を見つけた新聞社から私に取材が来た。自殺ではないかと記者は、引き出そうしていた。

 それは違うと思うと言った。

 その時は話さなかったが、階段から落ちて死ぬのがいいと言ってはいたが、らもさんは、死にたいとは思っていなかったはずだ。
 らもさんが、弱みを一切見せなかったのは、自分の読者の視線を常に感じていたからだ。
 俺の読者は、そんな弱っちい中島らもなんて期待してね~んだよ、と。

 
 「そろそろ、ええ?」

 そう言って帰って行った、らもさん。私もそろそろ、あの時のらもさんと同じ歳になろうとしている。

 <終>