さて、先ほどご紹介した様にしっかりと縄張りされた小田城に落城ラッシュがなぜ度々訪れたのでしょうか。その理由は、現地に行けば一目瞭然!

 なぜなら、小田城の周りは一面平野なのです!! 何と1km以上先からでも、お城の場所がわかります! つまり、遮るものがないために、大軍で攻め込まれてしまうのです!

 ただ、ここであることに気付きました。「背後に小さな山がある!ということは、小田城は住居として使っていて、戦時は後ろの山城を使っていたに違いない!」と。

 普段は麓の館のようなお城に居住し、攻められた時は後ろの山に籠って敵を迎撃する築城方法は多く用いられました。武田信玄の「躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)」などは平時の居館として使われ、背後に「要害山城」という山城を詰城として戦闘時に使用していました。

 さて、地図を眺めてみると、後ろの山は「前山(まえやま)城跡」と記されていました!

 現地の説明をしてくださった研究者の方に聞きました。
長谷川「天庵さんは、いざという時は後ろの山城を使ったんですよね?」
研究者「私もそう思ったんですけど、使用した形跡がないんですよね」

 何と!使っていない!?

長谷川「・・・・。ところで、あの櫓台、立派ですよね」
研究者「そうですね・・・。涼台(すずみだい)と名前がついています」

 櫓にしては風流なお名前!
もしかして、涼むための場所!?

長谷川「・・・・。あの、来る時に通った桜川なんですけど、天然の要害としては文句なしの川ですよね」
研究者「そうですね・・・。氏治が、土浦城へ敗走する時に利用していたようですが」

 逃走用でした!!!
これは間違いないです。

 小田城は(城主・天庵さんの影響が多大にありますが)日本史上稀に見る実績十分の『最弱の城』なのです。