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3人の息子たちに託した元就の願い

毛利元就の遺言状 第1回

毛利元就肖像画(東京大学史料偏差所所蔵模写)
謀略を駆使して、弱小領主から一代で中国地方を制覇した毛利元就。その死に際に、3人の息子に語ったとされる「3本の矢」の逸話は後世の創作とされるが、その遺訓には明治維新まで続く毛利家を守った「知恵」が秘められていた――。

 

「毛利という二字を軽んじ、忘却することがあってはならぬ。3人の間に少しでも懸け隔てができるならば、必ず3人ともに滅亡すると思うがよい。隆元(たかもと)は弟元春(もとはる)・隆景(たかかげ)を力と頼み、諸事を命じ、処理すればよい。

弟2人は養家を上手に動かしていると思っていようが、毛利が弱くなれば家中の者どもの心も変わる。弟2人が兄に不満があっても、兄に服従しなければならぬ。このことは孫の代まで知らしめて欲しい」

毛利元就(注)は還暦の61歳になっていた。2年前に厳島(いつくしま)に陶晴賢(すえ はるかた)を討ち果たし、いま大内義長(おおうち よしなが)を自刃させて、防長2国を平定した。

すでに宗家を継いでいた嫡子(ちゃくし)隆元は35歳、吉川(きっかわ)氏の養子になっていた次男元春は28歳、小早川(こばやかわ)氏の養子に出ていた3男隆景は25歳であった。(続く)

 

注/毛利元就 1497~1571年 弱小領主の次男として生まれながら、権謀術数を駆使して勢力を拡大。大内(おおうち)氏、尼子(あまご)氏の2強がしのぎを削っていた中国地方を一代で制覇。さらには北九州や伊予にも進出した。乱世を代表する戦国大名。

 

文/楠戸義昭(くすど よしあき)

1940年和歌山県生まれ。毎日新聞社学芸部編集委員を経て、歴史作家に。主な著書に『戦国武将名言録』(PHP文庫)、『戦国名将・知将・梟将の至言』(学研M文庫)、『女たちの戦国』(アスキー新書)など多数。

 

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